今、アゼツライトとフェナカイト比べてみたのですが、ほとんど同じように見えました。
ちょっと違うのは、アゼツライトよりフェナカイトの方が光の反射が多いような気がする……というところ。「同じ石ですよ」と言われて見てみたら、絶対同じ石のように見えると思います。
しかし、ダイヤとは違うとはっきり言えます。
ダイヤの見分け方の一つに、黒い紙を下に敷いて、それで黒く見えたら偽物、というのがあるんですよ。ダイヤは、反射の力が大きいので、下にあるものが透けたりはしないんですね。
ちなみに、浄化はしていません。
以前、満月(それも、十五夜の中秋の名月)浄化した後に、かなり酷めの試練があったからか、どうも「浄化すると私はあんまり良くないらしい」というのが刷り込まれてしまったのです。
その時付けていた勾玉一家も外してしまいましたしね。まあ、自分に合わなかったら、無理して付けることもないのです。皆さんの体調が第一ですよ。体調悪くしてまで石を付けなくても良いんです。
さて、アゼツライトの中の人です。
アゼツライトって皆こういう感じなの?と言うぐらい、以前のアゼツライトの白いお嬢さんと似ています。
ただ、違うのは、緑と金色のオッドアイ(左右違う色の目)を持っていることですね。あとは、頭からつま先まで真っ白な感じ。髪は長く、腰辺りまであります。
オッドアイ設定って、どこの中二だよ、って思うのですが、実際そう見えたのですから、そうなのでしょう。それから、何故か地面に藁でこしらえたような粗末な敷物を敷いて直に座っているのです。部屋?のような所も、モンゴルのゲルのような、簡素で急ごしらえしたような粗末なもの。高そうなものはありません。
で、「何故そんな簡素な所にいるのですか?」と聞いたところ、「私が願っていないからだ。私の力は他人に与えるもの。自分が裕福な暮らしをするものではない」と。
なるほど、清貧というわけですね。私には多分一生かけても辿りつけない境地でしょうけど。
「どうして私の元へ来てくれたのですか?」というおなじみの質問には、「お前に光を分け与える」とか。光を分け与える?どういうことか分からないのですが、多分何かの比喩でしょうね。
話してて思ったのは、この石は口調とか話し方はぶっきらぼうでも、すごく強い信念のようなものを持っていて、人を救うことに力を注いでいるということです。
それは、「人から良いように見られたい」とか、「人に自分の素晴らしさを見せつけたい」というエゴからくるものではなく、単純に「人を助けたい。それで傷ついても構わない」という自己犠牲のうえでの精神です。だから、エゴだらけの私の所にきたのかなー……とか。
アゼツのお嬢さん、これからもよろしく!
ちょっと違うのは、アゼツライトよりフェナカイトの方が光の反射が多いような気がする……というところ。「同じ石ですよ」と言われて見てみたら、絶対同じ石のように見えると思います。
しかし、ダイヤとは違うとはっきり言えます。
ダイヤの見分け方の一つに、黒い紙を下に敷いて、それで黒く見えたら偽物、というのがあるんですよ。ダイヤは、反射の力が大きいので、下にあるものが透けたりはしないんですね。
ちなみに、浄化はしていません。
以前、満月(それも、十五夜の中秋の名月)浄化した後に、かなり酷めの試練があったからか、どうも「浄化すると私はあんまり良くないらしい」というのが刷り込まれてしまったのです。
その時付けていた勾玉一家も外してしまいましたしね。まあ、自分に合わなかったら、無理して付けることもないのです。皆さんの体調が第一ですよ。体調悪くしてまで石を付けなくても良いんです。
さて、アゼツライトの中の人です。
アゼツライトって皆こういう感じなの?と言うぐらい、以前のアゼツライトの白いお嬢さんと似ています。
ただ、違うのは、緑と金色のオッドアイ(左右違う色の目)を持っていることですね。あとは、頭からつま先まで真っ白な感じ。髪は長く、腰辺りまであります。
オッドアイ設定って、どこの中二だよ、って思うのですが、実際そう見えたのですから、そうなのでしょう。それから、何故か地面に藁でこしらえたような粗末な敷物を敷いて直に座っているのです。部屋?のような所も、モンゴルのゲルのような、簡素で急ごしらえしたような粗末なもの。高そうなものはありません。
で、「何故そんな簡素な所にいるのですか?」と聞いたところ、「私が願っていないからだ。私の力は他人に与えるもの。自分が裕福な暮らしをするものではない」と。
なるほど、清貧というわけですね。私には多分一生かけても辿りつけない境地でしょうけど。
「どうして私の元へ来てくれたのですか?」というおなじみの質問には、「お前に光を分け与える」とか。光を分け与える?どういうことか分からないのですが、多分何かの比喩でしょうね。
話してて思ったのは、この石は口調とか話し方はぶっきらぼうでも、すごく強い信念のようなものを持っていて、人を救うことに力を注いでいるということです。
それは、「人から良いように見られたい」とか、「人に自分の素晴らしさを見せつけたい」というエゴからくるものではなく、単純に「人を助けたい。それで傷ついても構わない」という自己犠牲のうえでの精神です。だから、エゴだらけの私の所にきたのかなー……とか。
アゼツのお嬢さん、これからもよろしく!
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