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2024/04/20 15:44 |
日本人の神への畏怖とは・・・
おおう……リアルタイムで、雨がものすごいです。
 確か、地名に「水系」の漢字や当て字を使っている場所は浸水しやすいと言われていますが、うち、ものすごく水系です。海は遠いのですが、大きな川があって、多分そこが氾濫したりするのでそういう字が付いたのだと思います。

 海が近い人は怖いでしょうね……。早く台風去ってくれるといいんですが。
 ちなみに、うちの親戚は先の震災のど真ん中にいたりします。で、震災の時に、2階まで水が迫ってきて、「あ、これ私死んだな」と思ったら、目の前にすーっと畳が浮いて来て、それに乗って屋根まで逃げることができたそうです。

 その際に、親戚の家で「あの大きい木、邪魔だから切ろうよ」と言っていたのですが、同居しているおじいさんが頑としてそれに反対していたのでそのままにしてあった木に、畑仕事中だったおじいさんがつかまって、津波から逃れたとか。「木が恩返ししてくれたのかな」と親戚は言っていたそうです。

 どちらも、運がなければそのまま亡くなっていたかもしれません。本当に、僥倖でした。
 亡くなった方も、心よりご冥福をお祈りいたします。
 私、つい好奇心で、亡くなった方のご遺体の写真を見てしまったのですが、本当にショックで、自然と「南無阿弥陀仏」が口をつきました。阿弥陀様はあの世の神様。どうか、あちらの世界では幸せに、と思わずにはいられません。

 さて、自然の猛威というものは時に人知を超えるものがあります。
 そういった自然界の物事を、日本人は古来から「神」として崇めることで、その「神」を鎮めることができるとされていました。
 要するに、「神様が暴れているので、奉納やお祭りを開いて、神様をなだめよう」ということです。なので、日本神道はアミニズム(自然崇拝)に含まれるわけです。まあ、人間も崇拝している寺社はあるわけで、そういう寺社はまた別の崇拝になるのかもしれませんが。

 古来、日本は農耕民族として、狩猟民族よりは安定した食料にありつけていたわけですが、農業には天災がつきもの。そこで、嵐の神(タケミナカタ)、時化の神(ワタツミ)、雷の神(タケミカヅチ)、火災の神(カグツチ)などがあてられました。また、地震は土の下のオオナマズが暴れているせいだと考えられ、タケミカヅチを祀る鹿島神宮にそれを抑える要石を埋め込んであるといいます。

 うちの方でも、稲刈りが終わると、近くの氏子神社で宴会を開きます。それも、おそらく豊穣の神への感謝祭だろうと推測しています。
 もうすっかり、「祭りという名の宴会で酒飲もうぜ!」的なことになっていますが。
 
 でもね、あまりにも豊作すぎた翌年は、市役所から「田んぼを作って良い土地」が減らされるのは本当です。豊作すぎると、コメの値段が下がるからなんですね。これってどっかのシステムでもあったなあ、と思いついたのがダイヤモンドとデビアスの関係。役所か会社かの違いはあれど、同じようなものですね。

以下、拍手返信

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2013/10/16 01:05 | Comments(0) | 宗教・伝承
私はにわかカトリック信者?
最近、またロザリオを付け始めて、キリスト教の教えをネットで少しずつ学んでいます。

 正直、聖書に書かれているような固い言葉は、ちょっとしか理解できないのですが。でも、それを分かりやすく教えてくれるサイトもあって、そういう所からキリストの教えを感じています。

 でもまあ、別に神父になるわけでもシスターを目指しているわけでもないので、正直聖書を丸暗記とかはしなくてもいいと思っています。
 神父やシスターになる時には、ちょっとした試験が出るらしいですけど。まあ、それも、神父やシスターなのに聖書の1文も言えないようでは困る、という感じなんでしょうね。

 いまだに、聖書や教会についてはちょっと疑問に思うこともありますが、結局は「まー、仏教も同じようなものだしな、おあいこだよ」と思うようになりました。ちょっと成長したんでしょうか。
 しかし、織田信長の時代、宣教師が丸い地球儀を持って「これが日本です」と言ったところ、信長はあっさりと「なるほど、世界が丸いのならば納得が行く」と、即座に「世界は丸い、日本は小さい」ということを飲みこんだそうです。これは、宣教師にとっても驚くべき理解力だったとか。

 私が、聖書の教えをいまいち理解できない箇所があるのは、なんか意固地になってる価値観があるのかなーとは思いますが。
 でも、宗教って、盲目的になっちゃいけないと思うのですよ。その宗教だから全て良いというわけじゃなくて、宗教の良い部分は認め、悪い部分は捨てておく、そんな日本人的価値観もいいんじゃないかと。

 とりあえず私は、仏教もキリスト教も神道も全部信じます。まあ、イスラム教はなかなか日本人には浸透しないと思うのですが。
 厳格な所では、豚料理を作った食器ですら使ってはいけないとか。それと、イスラム圏での食べ物しか口にしてはいけないとか。そんなのめんどくさい!って思ってしまいます。

 でも、イスラム圏も最近はだいぶ緩くなっているようで、「客からごちそうされたら豚も食べて良い」とか「日本だから神様見てない(から食べて良い)」とかいった価値観も浸透しつつあるらしいです。
 特に、多くのイスラム教徒も勘違いしているのは、「客からごちそうされたら何でも食べて良い」ですね。イスラム教ができた当初からこの価値観はあって、決して新しいものではないそうです。

 さて、キリスト教ですが、私がなるとしたらカトリックだろうなーと思います。
 カトリックとプロテスタントの違いは色々ありますが、プロテスタントは「偶像崇拝禁止・マリア含む聖人もただの人間」とされており、ちょっと厳しめの戒律ですが、プロテスタントの牧師は結婚していいそうです。

 私の場合、マリア様信仰があるので、カトリックだろうと。ロザリオの祈りを一回するごとに、マリア様にバラを1輪捧げたことになるそうです。
 いまだにロザリオの祈りを唱え切ったことないのですが。

 あと、本気で私の住む地域にあるカトリック教会を探したら、一件見つかりました。
 数人しか座れない小さな教会ですが、そのうち行ってみたいですねー。ミサってどういうことするんだろう、とか、道順はあそこでいいんだよね?とか、不安は一杯あるのですが。

 まあ、そのうち、です。

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2013/10/11 00:47 | Comments(0) | 宗教・伝承
またロザリオ沼?:人工精霊
あれだけ騒いで、勾玉は外さない!と言っていたのに。今日、突発的に外してしまいました。

 なんか、「今」だと思ったんですよね。で、今は紫のバラのロザリオとクロスの黒蝶貝の2連付けをしています。
 黒蝶貝は、「マザーオブパール」と言い、女性の悩みに効くそうです。

 やっぱり、「今」という感じで、付けようと思い立ったのですが。ちなみに、しまいこんで何年か経っていたので、シルバー部分がかなり錆びてしまっていました。
 でも、今もいぶし銀とかあるしなあ……。

 で、指輪は、ピンクダイヤとブルートパーズに。ブルトパは眠れなくなるので、寝る時は外すことにします。
 腕は彫刻翡翠のバングルです。

 それで、バングルなんですが、重いのか、幅が1mm大きいからなのか、腕の途中で止まってくれません。重力に従って流れてきます。だから、お風呂の時も付けていると洗面器に当たる……。結局、裏側まで洗えないのもあって、お風呂の時は外して全部の石(ロザリオは除く。金属疲労があるといけないので)を流水で洗うようにしています。

 他は日常ではそんなに困ったことはありません。時々、床に座った時に腕が垂直になるのでガシャン!としてびっくりするぐらいです。なので、座る時はあらかじめ手首の辺りまで下げておきます。

 紫のバラのロザリオは、一番気に入って使っています。
 1500円ぐらいだったので、多少傷がついても気兼ねなく使えますし、華奢に見えて丈夫なロザリオです。
 それに、「メダイが生きている」感じも、「光が体と重なる」感じも、このロザリオを付けていて起こったことです。
 他の、ピンが太いロザリオがぶつぶつ切れる時も、このロザリオは平気でした。なので、高かったロザリオはいざという時に、普段使いはバラのロザリオで、という感じですね。

 ちなみに、今月7日は「ロザリオの聖母」の記念日らしいです。私も昨日初めて知って、「記念日近くになってロザリオに助けられたなんて、これはお導きかも!?」と思いました。
 正式に言うと、「ロザリオを媒体とした何かが救いの手を差し伸べてくれた」とも言えます。それは、イエス様なのかマリア様なのか他の誰かなのか分かりませんが、私を救ってくれたのには変わりません。
 
 さて、今日はもう一つお話を。

 ちょっと前に、まとめサイトで「人工精霊」というものを知りました。
 で、良く読んでみると、それって私が石と会話してるのと同じじゃん!と思いました。

 「人工精霊」とは、頭の中で自分の想像した(リアルに想像すればするほど良い)精霊を人工的に作り出してしまおうということです。
 初めはこっちから一方的に会話をして、そのうち段々返事が返ってくるのです。そうして、ついには精霊と会話ができるようになるとか。

 で、これには媒体となるものがあると楽にでき、その一つにパワーストーンがあるんですね!
 私、知らないうちに「人工精霊」作ってた……。
 ちなみに、美少女フィギュアで同じことをしていた人は、そのフィギュアが応援してくれたおかげで学校で好成績を取ったそうです。この人も自覚はなかったようですが、要するに人工精霊なんですよね。

 そうそう、人工精霊作りに素質のある人は、媒体(石やフィギュア)を見て、「ただの綺麗な石だ。モース硬度は~」とか思わず、「この石には何か力がありそう……!」と思える人だそうです。石と会話してみたい人は頑張ってください。

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2013/10/05 00:58 | Comments(0) | 宗教・伝承
金色の光のご出現
不安……でした。

 今日は朝から落ち着かなくて、2度寝しようにも目が冴えてしまうのでずっと起きていました。
 その間、不安で不安でどうしようもなくて、どうしよう、どうしようとオロオロするばかり。

 そんな時、何故かふとロザリオのことが頭をよぎって、ロザリオを付けて、お祈りの仕方を読んだりキリスト教関連のサイトを読んだりしていると、あれ?と思いました。
 いつの間にか、隣に金色の光が集まっているのです。これは、実際に目で見たわけではなく、なんというか、違う世界のものが混ざっているように見えたのです。

 そして、その光が徐々に私の方へ向ってきて、ついに体とぴったり重なったところで、それまで感じていた不安がストンとなくなりました。
 本当に、憑きものが落ちたようになくなったのです。

 この光景は、どこかで見たことがある、と思い出したのが、マリア様の絵の出現。あの時も、金色に輝く光に包まれたマリア様の絵が私の目の前に現れたのです。

 ちなみに、まったく恐れは抱きませんでした。ただ、「この光に任せていれば大丈夫」と思いました。

 不安の元手は、その後無事に何事もなく終わりました。

 こういった体験をすると、「やっぱり世界で知られている宗教っていうのは違うんだなあ」と。
 しかし、私の場合キリスト教でしたが、別に他の宗教でも良いそうです。その光とちょっと会話ができたのですが、「宗教は、沢山崇めて知ってみれば良い。そこから取捨選択することによって、あなたの正しい宗教が分かるし、それで捨てられたからといって怒る神はいない。大事なのは宗教を知ること。そして、全ては愛あっての物事だということ」だそうです。

 「見なさい、人が争うのもそこに愛があるからこそ。自分を愛したり、家族を愛したり、思想を愛したり、国家を愛して人は争う」とも言っていました。

 しかし、愛と来ましたか……。正直、私に一番欠けてる要素だと思うんですけどね。
 もちろん、家族には愛されてきたと思うのですが、私はどうも、「愛を感じる能力」が薄い気がします。まあ、それも、家族以上の愛情を求めるとうまくいかない、みたいな感じですね。味付けの濃いものに慣れてしまうと薄味のものが分からなくなるような。

 どうも、「愛」がキーワードのようです。愛……みなさんにはありますか?

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2013/10/04 01:01 | Comments(0) | 宗教・伝承
石がケンカ・富士山もいいけど烏帽子山もね
なんか、石同士がギスギスしてると思ったら、西虎(翡翠のバングル)さんがやきもちを焼いているようです。

 最初、翡翠の勾玉がなんとなく悲しそうにしていたので、「何?どうしたの?」と聞くと、「新入りに嫌味を言われる」と。で、西虎さんに「そういうことしちゃダメでしょ」と言うと、「私がいればいいだろう。そいつらは外せ」と。ぐぬぬです。

 でも、ここで負けて外してしまっては他の石が可哀そうですし、「いや、外さない。嫉妬もほどほどにしなさい。他の石をいじめたら承知しないよ」と主張すると、まだ「私一人でいいものを……」と言っていましたが、なんとか納得してくれたようです。

 ……なんか、大奥とかハーレムってこんな感じだったのかな、と思います。一応、私は皆平等に愛してるつもりですけどね。どうも相性が良くなくてしまってある石とかもありますが……。
 まあ、西虎さんの激しい気性は分かってるつもりですし、翡翠の勾玉は同じ翡翠ということで嫉妬の対象になったのでしょう。

 しかし、これで、勾玉連合がどうも西虎さんに怒っているらしく、今度は勾玉連合が「あいつを外せ!」と言っている状態に……。そっちにも、「外さない。仲良くなるまでどれも外さないからね」と言っておきました。

 うーん……しかし、石同士のいさかいって初めてかもしれません。滅多に石って他の石とケンカはしないんですよ。嫉妬深いとされるガーネットだって、私は平気でした。
 まあ、西虎さんは、生来のプライドの高さと、私がうっかり名前を付けてしまったので、「私は特別!」と思ってしまったのかもしれません。うかつな行動はできませんなー。
 
 でも、今日になって、なんとなく石同士がうまく距離感をもって接しているような気がします。
 西虎さんは、私に可愛がられる石を見ていると嫉妬するという自分の心をなんとか律しようと、できるだけ他の石を見ないようにしていますし、勾玉連合も「あいつは気にくわないけど、かみなに言われたし、仕方ないな」となっているようです。

 さて、話は全然変わりますが、スピリチュアル繋がりということで、富士山のことを。

 富士山の主神はコノハナサクヤヒメというのは知られていますが、富士山に詣でたら、必ずその隣にある烏帽子山の浅間神社にもお参りすることです。
 浅間神社には、イワナガヒメという女神様が祀られています。この女神様、当時の天皇にコノハナサクヤヒメと一緒に嫁いだものの、「顔が醜いから」と帰され、父親のオオヤマツミは「コノハナサクヤヒメは繁栄を意味するが、それは長くは続かない。だから「後の世まで続くように」という意味のイワナガヒメを送ったのに。人間は愚かだ。自分の繁栄を短くするなどと」と嘆いたそうです。

 富士山が大きく、烏帽子山が小さいのは、コノハナサクヤヒメが姉を一目見ようと姉様、姉様と背伸びをするのに対して、イワナガヒメは自分の醜い顔を見られたくないのでどんどん縮こまっていったそうです。

 なので、富士山を詣でる場合は、イワナガヒメを祀る烏帽子山にも参拝すると、願いが末永く叶うことになります。たとえば、恋愛成就を願ったとしても、その人が実は暴力をふるう人だったり、働かない人だったりするとすぐに終わってしまいますよね。そういう意味で、イワナガヒメにも「末永く願いが叶うよう」とお願いするといいそうです。

 また、イワナガヒメは恋愛の神様でもあります。それも、自ら「自分のような思いをする人間が減るように」といった優しい女神様です。富士山に詣でたら、必ずイワナガヒメにもご挨拶をすることをお勧めしますよ。そうすれば、オオヤマツミの言う「繁栄がのちの世まで続く」ことにもなるでしょう。

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2013/09/06 00:49 | Comments(0) | 宗教・伝承

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