今日、母と一緒に美輪さんの番組を観ていたところ、母が急に居住まいを正して、「かみな。あんたは沢山泣いたし沢山悩んだ。だから、これから神様がきっと運を授けてくださるよ」と言われました。
私の母はとても強い人で、若い頃は中卒ですぐに看護学校へ行き、看護師として働きながら叔母二人の大学までの通学費用をねん出しました。
その後も、結婚、出産とありましたが、私は母が愚痴を言ったり泣きごとを言ったりするところを見たことがありません。たまに職場でのお笑い話をして、食卓をにぎやかすことはありますが、とにかくマイナスのことは言ったことがありませんでした。
そんな母を泣かせてしまったのは、私がまだ病気だと誰も気づいていない時です。
私は学校に行かなくなり、そんな私を母や父、祖母は許しませんでした。かろうじてその時存命だった祖父は「かみなの思う通りにさせてやりなさい」と私が知らない所で皆を諭していたらしいですけど、とにかくその時は、私には味方なんて一人もいないんだ、という孤独感に打ちのめされました。
果てには、優しかった父に「出ていけ」とまで言われ、泣きながら荷造りをしたこともあります。おそらく、父も母も祖母も、それまで順調すぎるほど順調だった私の変わりように戸惑い、どう接していいのか分からなくなっていたのだと思います。
そんな中、私はついに首を吊るという自殺のまねごとに手を出しました。首を吊り、何度も途中で苦しくなったり暴れては失敗をする、ということを重ねました。
それから、私は高卒認定を取って大学へ。しかし、嫌々行っている大学が続くはずもなく、「大学へ行く」と言って家を出ては図書館や本屋でひたすら時間をつぶす、という生活を送っていました。
とにかく、漫画から専門書まで、本はひたすら読みました。私にはそれしか時間をつぶす方法が分からなかったのです。
足が疲れたら、トイレで休憩して、また本屋へ、という生活を繰り返しました。
それから、私は初めての一人暮らしへ。それも、前々から計画を練ってほとんど家出状態で、お金がなくなったら死のう、と思っていました。
しかし、そんな私の決意を知っていたのか、母は誰にも内緒で家賃代+1万円ぐらいのお金をくれるようになり、私は死のうにも死ねない生活を送りました。もちろん、アルバイトなどもできず、夜中に人目を避けて二四時間営業のスーパーで安売りの納豆とインスタントラーメンなどで食いつなぐ生活。後は、ずっと部屋に引きこもって眠る生活です。
一人暮らしは長く続くはずもなく、そのうち私は再び実家に戻りました。
そんな折、とある知人から酷い裏切りを受け、私は何度目かの自殺を試みました。幸いというか自殺は誰にも知られず、失敗に終わり、私はその足で精神科の門を叩きました。
私が精神科に行ったことを母に打ち明けると、母は「薄々分かってた」と言い、私を抱きしめて「また帰ってきてくれてありがとう」と泣きました。
それからまた、色々なことがありましたが、私の病状は快方に向かっており、週に二回なら仕事もできるようになりました。
インターネットの世界を知ったり、天然石を使った様々なアクセサリーに興味を向けたりするようになります。まだ、完全に治った!とは言えないのですが、それでも最低の時期からは抜けられた気がします。
でも、他が最低ってことは、ギャンブルでもやっていたら一攫千金狙えたかも?なーんてジョークも飛び出すぐらいには回復しています。
でも、こうして文章にしてみると、やっぱり親って偉大だな、と思うのです。
私だったら、失望した子供にお金なんかあげませんよ。それを、ここまで育て、今は父も母も静かに見守ってくれています。祖母からはたまにお説教されますが、それもまあ、そうだろうなという感じでスルーできています。
私のこれまでの経過はこんな感じです。なので、「ぜんっぜんダメ人間じゃん!私の方が数倍マシじゃん!」という感じで勇気を出してもらえたりしたら幸いです。これから、私はとにかくアルバイトでもして、再び、今度は前向きな一人暮らしをする、というのが目標です。
もちろん、夢は持ち続けます。いつか、ペン一本でささやかに暮らしていけるお仕事をいただくのが私の理想です。
こんな長文になってしまってすみませんね。これもプロフィールに入れときます!
私の母はとても強い人で、若い頃は中卒ですぐに看護学校へ行き、看護師として働きながら叔母二人の大学までの通学費用をねん出しました。
その後も、結婚、出産とありましたが、私は母が愚痴を言ったり泣きごとを言ったりするところを見たことがありません。たまに職場でのお笑い話をして、食卓をにぎやかすことはありますが、とにかくマイナスのことは言ったことがありませんでした。
そんな母を泣かせてしまったのは、私がまだ病気だと誰も気づいていない時です。
私は学校に行かなくなり、そんな私を母や父、祖母は許しませんでした。かろうじてその時存命だった祖父は「かみなの思う通りにさせてやりなさい」と私が知らない所で皆を諭していたらしいですけど、とにかくその時は、私には味方なんて一人もいないんだ、という孤独感に打ちのめされました。
果てには、優しかった父に「出ていけ」とまで言われ、泣きながら荷造りをしたこともあります。おそらく、父も母も祖母も、それまで順調すぎるほど順調だった私の変わりように戸惑い、どう接していいのか分からなくなっていたのだと思います。
そんな中、私はついに首を吊るという自殺のまねごとに手を出しました。首を吊り、何度も途中で苦しくなったり暴れては失敗をする、ということを重ねました。
それから、私は高卒認定を取って大学へ。しかし、嫌々行っている大学が続くはずもなく、「大学へ行く」と言って家を出ては図書館や本屋でひたすら時間をつぶす、という生活を送っていました。
とにかく、漫画から専門書まで、本はひたすら読みました。私にはそれしか時間をつぶす方法が分からなかったのです。
足が疲れたら、トイレで休憩して、また本屋へ、という生活を繰り返しました。
それから、私は初めての一人暮らしへ。それも、前々から計画を練ってほとんど家出状態で、お金がなくなったら死のう、と思っていました。
しかし、そんな私の決意を知っていたのか、母は誰にも内緒で家賃代+1万円ぐらいのお金をくれるようになり、私は死のうにも死ねない生活を送りました。もちろん、アルバイトなどもできず、夜中に人目を避けて二四時間営業のスーパーで安売りの納豆とインスタントラーメンなどで食いつなぐ生活。後は、ずっと部屋に引きこもって眠る生活です。
一人暮らしは長く続くはずもなく、そのうち私は再び実家に戻りました。
そんな折、とある知人から酷い裏切りを受け、私は何度目かの自殺を試みました。幸いというか自殺は誰にも知られず、失敗に終わり、私はその足で精神科の門を叩きました。
私が精神科に行ったことを母に打ち明けると、母は「薄々分かってた」と言い、私を抱きしめて「また帰ってきてくれてありがとう」と泣きました。
それからまた、色々なことがありましたが、私の病状は快方に向かっており、週に二回なら仕事もできるようになりました。
インターネットの世界を知ったり、天然石を使った様々なアクセサリーに興味を向けたりするようになります。まだ、完全に治った!とは言えないのですが、それでも最低の時期からは抜けられた気がします。
でも、他が最低ってことは、ギャンブルでもやっていたら一攫千金狙えたかも?なーんてジョークも飛び出すぐらいには回復しています。
でも、こうして文章にしてみると、やっぱり親って偉大だな、と思うのです。
私だったら、失望した子供にお金なんかあげませんよ。それを、ここまで育て、今は父も母も静かに見守ってくれています。祖母からはたまにお説教されますが、それもまあ、そうだろうなという感じでスルーできています。
私のこれまでの経過はこんな感じです。なので、「ぜんっぜんダメ人間じゃん!私の方が数倍マシじゃん!」という感じで勇気を出してもらえたりしたら幸いです。これから、私はとにかくアルバイトでもして、再び、今度は前向きな一人暮らしをする、というのが目標です。
もちろん、夢は持ち続けます。いつか、ペン一本でささやかに暮らしていけるお仕事をいただくのが私の理想です。
こんな長文になってしまってすみませんね。これもプロフィールに入れときます!
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