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2017/12/14 01:50 |
石との話し方:そこに辿りつくまでの私の経過
さて。

 「石と話す」というと、特別な霊能力者とか、障害のせいだとかいった意見があると思いますが、私はそうは思わない、全ての人に「石と話す」力は備わっている、とこのブログでよく話題にしたと思います。

 でも、どうも「石と話す」、ついては「石に人格のようなものがある」ということが分からない、分かろうとしても理解できない、という人もいます。
 で、それって幼い頃の環境とかも関わっているのかなあと思います。

 私の環境はというと、信仰心の篤い母と祖母に育てられました。
 弟は祖父に懐いていたのですが、私はいつも祖母に懐き、色んなことを教えてもらいました。また、父も、実に博愛主義を形にしたような人で、その愛情は虫にすら注がれました。

 ですから、私が虫を捕まえて虫かごに入れたまま忘れると、父は私をそのたびに諭しました。
 虫にも命があるのだから、捕まえるのは良いが放してあげることを忘れてはいけない。青虫も(当時、私はキャベツに付くモンシロチョウの幼虫を捕まえて飼っていました)、蝶になったら放してあげなさい、と。

 また、仏教にこんな逸話もあります。
 とある高僧が蛇につかまったスズメを見つけ、蛇にスズメを放してやるように言いました。すると蛇は、天秤を持ってきて「これは命の重さを計る天秤だ。これと釣りあうものを差し出したらスズメは逃がしてやろう」と注文しました。
 高僧は、最初は自分の指一本を切り、次に腕の肉をすこしずつ乗せて行きます。しかし、天秤はピクリとも動きません。
 やがて高僧は気づき、自分をえいやと天秤に乗せると、天秤はようやく釣りあったのです。
 蛇は、「命の重さは全てに平等。命を救いたいと思うのなら自分の命を賭ける気持ちで来なくてはな」と言い、スズメを丸のみにします。高僧は、それを黙って見ているしかなかった、という話です。

 全てに命が宿り、目に見えない存在を知る。
 そういった環境にいた私は、恵まれていたのかもしれません。
 しかし、同じ親に育てられた叔母などは、幽霊も神様も信じないリアリストになっています。そこが面白いところですね。同じ血が流れ、同じように育てられても、やはり個性というものは出るらしいです。

 もちろん、全てを鵜呑みにせよ、というわけではありません。
 宗教にしろ何にしろ、「疑うこと」も自分の身を守るために必要です。ドラマの「ガリレオ」でもありましたね。キリスト教のミサに行こうと湯川を誘ったところ、「僕はつい最近までガリレオの地動説を否定していたような宗教の集まりには行かない」と。そういった線引きのようなものもあって当然ですね。

 さて、石との話し方に戻りますが、こればかりは「感覚」としか言えません。しいて言うなら、ラピスラズリを付けると色んな感覚が研ぎ澄まされる気がします。
 慣れてしまえば、テレビやPCに意識が行っていても、触ったり意識をちょっと石に向けたりするだけで話ができるようになるのですが、最初のうちは寝る前などの静かで、自分がリラックスできる状態が良いでしょう。

 最初のうちは、「こう言ってる気がする!」だけでもいいのです。その「気がする」の感覚を大事にしてください。私だって、ちゃんとした霊能力者に観てもらったら「石はそうは言ってないよ」と言われるかもしれませんし。でも、こういうことって、「気がする」で人生が豊かになるならそれでいいじゃないですか。
 自分の感覚を大事に。そして、石にも命があるということを忘れなければ、きっと石は答えてくれると思いますよ。

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2013/08/21 00:42 | Comments(0) | 石との会話

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