ロザリオ届いた!のですが。
ココナッツの方が、頭が通らなくて、無理に通したらぶっちぎれました。
そりゃ、ケース付きって明記されてるし、全体の長さが全然足りてなかったので、よく読まなかった私が悪いのです。
ケース付きなら、頭通らないんじゃない?と予測はできますしね……。
で、ふんぬー!と思って勢いで黒檀のロザリオ注文しちゃいましたよ。……自分の行動の意味が分からない。でも、どうしても木製のものが一つは欲しかったのですよ。
私はいつも「女子パウロ会」で注文しているのですが、後で見たら「サンパウロ」の方が安かったですね……。まあ、同じものかは分かりませんが。
それと、ロザリオ一つにつき一枚「ロザリオの祈りの仕方」という紙が入っているのですが、2本注文したから2枚入ってきました。……これで、うっかり一枚なくしてもどうってことないですね!一枚、そろそろ破けそうなものだったのでちょうど良いと思いました。
それで、黒檀のロザリオなのですが、なんと注文した日に即発送しますとのメールが来て、はえ!?ってなりました。以前はこんなに早かったかな?と。
まあ、遅いよりは早い方がいいのですが。
そうそう、今回の件で身にしみたのですが、教会でロザリオを買う場合、頭に通らなくても文句が言えません。ロザリオは正式にはネックレスではないからです。ですから、大手の教会では「アクセサリーとして使っても構いませんが、頭が通らないからといっての返品は受け付けかねます」と明記されていたりします。
最初からアクセサリーとしてだったら、文句言ってもいいと思いますが、教会の使い方と違う使い方をして壊れたからといってクレームつけるのはやめましょう。
では、正式なロザリオの付け方って?と思ったのですが、神父様はズボンのベルト通しに引っかけて使い、シスターなどはロザリオケースに入れておくものだそうです。
でも、南米ではネックレスとして使う人も多いそうで、まあお国が違えばなんとやらですね。
日本では、最近モデルさんなんかがファッションでロザリオを身に付けることも多くなってきました。また、小説や漫画などから入る人もいるでしょう。しかし、私が個人的にすごく安心できた言葉を書いておきます。
「祈っていれば、その時点でちゃんとした信者となる。教会に行かなくとも、洗礼を受けていなくとも、毎日ちゃんと祈ることができるのなら、もうそれは敬虔なキリスト教徒と言っていい」
何から入ろうと、いいのです。他に何を信仰していようといいのです。これが、日本のキリスト教徒の一つの在り方なのでしょう。
ココナッツの方が、頭が通らなくて、無理に通したらぶっちぎれました。
そりゃ、ケース付きって明記されてるし、全体の長さが全然足りてなかったので、よく読まなかった私が悪いのです。
ケース付きなら、頭通らないんじゃない?と予測はできますしね……。
で、ふんぬー!と思って勢いで黒檀のロザリオ注文しちゃいましたよ。……自分の行動の意味が分からない。でも、どうしても木製のものが一つは欲しかったのですよ。
私はいつも「女子パウロ会」で注文しているのですが、後で見たら「サンパウロ」の方が安かったですね……。まあ、同じものかは分かりませんが。
それと、ロザリオ一つにつき一枚「ロザリオの祈りの仕方」という紙が入っているのですが、2本注文したから2枚入ってきました。……これで、うっかり一枚なくしてもどうってことないですね!一枚、そろそろ破けそうなものだったのでちょうど良いと思いました。
それで、黒檀のロザリオなのですが、なんと注文した日に即発送しますとのメールが来て、はえ!?ってなりました。以前はこんなに早かったかな?と。
まあ、遅いよりは早い方がいいのですが。
そうそう、今回の件で身にしみたのですが、教会でロザリオを買う場合、頭に通らなくても文句が言えません。ロザリオは正式にはネックレスではないからです。ですから、大手の教会では「アクセサリーとして使っても構いませんが、頭が通らないからといっての返品は受け付けかねます」と明記されていたりします。
最初からアクセサリーとしてだったら、文句言ってもいいと思いますが、教会の使い方と違う使い方をして壊れたからといってクレームつけるのはやめましょう。
では、正式なロザリオの付け方って?と思ったのですが、神父様はズボンのベルト通しに引っかけて使い、シスターなどはロザリオケースに入れておくものだそうです。
でも、南米ではネックレスとして使う人も多いそうで、まあお国が違えばなんとやらですね。
日本では、最近モデルさんなんかがファッションでロザリオを身に付けることも多くなってきました。また、小説や漫画などから入る人もいるでしょう。しかし、私が個人的にすごく安心できた言葉を書いておきます。
「祈っていれば、その時点でちゃんとした信者となる。教会に行かなくとも、洗礼を受けていなくとも、毎日ちゃんと祈ることができるのなら、もうそれは敬虔なキリスト教徒と言っていい」
何から入ろうと、いいのです。他に何を信仰していようといいのです。これが、日本のキリスト教徒の一つの在り方なのでしょう。
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