なんか、キリスト系のブログ読んでたら、キリストは悪魔に誘われた時に3つの誘惑を振り切ったとされているようです。
1つ目は、金。「貧しい者にではなく、金持ちに奇跡を見せれば大金持ちになれる」。
2つ目は、コネ。「権力者に擦り寄れば楽な暮らしができる」。
3つ目は、PR。「もっと多くの者に信仰されたいだろう?」。
でも、これって、釈迦は生まれた時から全てを持っていたんですよね。
キリストが貧しい大工の家に生まれたのに対して、釈迦は一国の王子。金もコネもPRも、全てを持っていたにも関わらず、それを全て捨てて貧しい者・苦しむ者のために悟りを開こうとしたのですから。
相対しているように見えて、しかし思いは同じ。「苦しみ・迷える民衆を救いたい」という一心で一方は苦難に立ち向かい、一方は厳しい修行に出たのです。
私は、どちらも信じられますよ。一応、家は仏教徒でお墓もありますし、神道の天照のお札の神棚もあって、毎日祖母が一番初めに汲んだ水をお供えしています。でも、キリスト教徒が他の信仰を捨てなくとも良いとしたら、洗礼を受けるかもしれませんw
私が学生の頃に、校門の前で聖書を配っていて、それを読んだことはあるのですが、正直その時は「なんだこれ。こんなのが全知全能の神とか、外人はどれだけドMなんだよ」と思っていました。
でも、私の場合どうも聖書の内容はどうでもよくて、キリスト教に生きる人々の言葉なんかを読んでいると、とても安らぐ感じがするんです。
そういう信仰もアリでいいですかー?的な。
ロザリオも、十字架も、モチーフとしてすごく洗練されていると思いますしね。だから、ファッションから入るのもアリだと思います。ただ、日本人は「全知全能の神様を崇めないと皆地獄に落ちるだか?なら、おらのじさまもばさまも地獄にいるだか?そったら、自分だけ助かろうなんて不孝はできね!おらもじさまとばさまのいる地獄に落ちるだ!」と農民が言うので、バチカンから直々に「日本人だけ特別だよ!」という処置をされたといいます。そんな日本人が、私は好きですけどね。
1つ目は、金。「貧しい者にではなく、金持ちに奇跡を見せれば大金持ちになれる」。
2つ目は、コネ。「権力者に擦り寄れば楽な暮らしができる」。
3つ目は、PR。「もっと多くの者に信仰されたいだろう?」。
でも、これって、釈迦は生まれた時から全てを持っていたんですよね。
キリストが貧しい大工の家に生まれたのに対して、釈迦は一国の王子。金もコネもPRも、全てを持っていたにも関わらず、それを全て捨てて貧しい者・苦しむ者のために悟りを開こうとしたのですから。
相対しているように見えて、しかし思いは同じ。「苦しみ・迷える民衆を救いたい」という一心で一方は苦難に立ち向かい、一方は厳しい修行に出たのです。
私は、どちらも信じられますよ。一応、家は仏教徒でお墓もありますし、神道の天照のお札の神棚もあって、毎日祖母が一番初めに汲んだ水をお供えしています。でも、キリスト教徒が他の信仰を捨てなくとも良いとしたら、洗礼を受けるかもしれませんw
私が学生の頃に、校門の前で聖書を配っていて、それを読んだことはあるのですが、正直その時は「なんだこれ。こんなのが全知全能の神とか、外人はどれだけドMなんだよ」と思っていました。
でも、私の場合どうも聖書の内容はどうでもよくて、キリスト教に生きる人々の言葉なんかを読んでいると、とても安らぐ感じがするんです。
そういう信仰もアリでいいですかー?的な。
ロザリオも、十字架も、モチーフとしてすごく洗練されていると思いますしね。だから、ファッションから入るのもアリだと思います。ただ、日本人は「全知全能の神様を崇めないと皆地獄に落ちるだか?なら、おらのじさまもばさまも地獄にいるだか?そったら、自分だけ助かろうなんて不孝はできね!おらもじさまとばさまのいる地獄に落ちるだ!」と農民が言うので、バチカンから直々に「日本人だけ特別だよ!」という処置をされたといいます。そんな日本人が、私は好きですけどね。
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