何日か前に、とある石ブログさんが「ブログのおわり」を宣言しました。
そこのブログの文章が好きで、更新がなくなっても、「いつか戻ってきてくれるのでは?」と思いながらの日々でした。
でも、ブログで「このブログはこれでおしまいにします」と発言するのはどんなに悩んだことでしょうか。
しかし、そのブログの最後の記事では、「たとえば、ブログはノートみたいなものだと思ってください。全部のページが埋まって、『できた!』という満足感。あれが私は好きなんです」と。
「だから、ブログも最終回はきちんとお伝えしようと思っていました。だらだらと白紙の時間を伸ばすより、潔くすっぱり更新を止められたらいいでしょうし」とおっしゃっていました。
でも、その方は一回復帰なさっているんですよね。だから、私もまた「いつか、また帰ってきてくれるのではないだろうか」と思いながら、ブックマークを外せずにいます。
私の知り合いは、酷い人になると勝手に自分の命を絶ってサイトを電子の海に投げ込んでそのままの人もいました。
酷い人というのは違うかな。でも、私はその人が人間として好きでした。だから、サイトの更新期限が切れてサイトが消えても、まだ信じられなくてブックマークに置いてあったりします。
その人もパワーストーン関連で、同じ病気を持っている人でしたから、メールのやり取りはしていました。
すごく博識な人で、当時パワーストーン初心者の私のつたない質問にも丁寧な文章で返してくれる人でした。今の私のパワーストーンに対する接し方は、その人が根源になっているのかもしれません。
私は、きっとその人のようにはなれないんだろうな、と思います。
でも、それでいいのかな。その人が一番最初に教えてくれたことは、「パワーストーンは、ウエブの図鑑などで石だけを見て、『あ!これだ!』という石が一番いいんですよ。効果は2の次でいいんです」ということでした。
はは、そのまんま私のスタンスになっていますね。まあ、それでも私はパワーみたいなものは感じられると思うのですが。
しかしです。今、自殺を考えているあなたは、考え直してください。
最近、無修正の死体画像を見る機会があったのですが、「いつかは私もこうなるのかもしれない」という心が宿りました。水死体の画像だったんですけどね。あれを見てから、女子高生コンクリ事件と同じような食欲の低下が見られました。あんなに好きだった夜食のカップ麺も、食べられずに積まれていくだけです。
畳の上で、綺麗な死体として処理されるのはまだいいです。事故などで頭がつぶれたり、「現実はもっと酷い」とされる遺体、亡くなって数日してから見つかった遺体などは、正直遺族の人でも辛いと思います。「ご家族ですか?」と聞かれても、分かるわけはありません。しかし、警察も死体を片付ける人は、3日くらい匂いがきえないそうです。
私は、いつ死んでもおかしくありません。
だけど、両親に深い傷を残して自分だけのうのうと逝くのは、生活保護を受けるよりもっと罪深いことだと思います。有名メンヘラー日記さんでは、死後にお母様からサイトの管理人にお手紙をいただいたそうです。
それには、一年も二年も朝飛び起きては「暁ー!暁ー!(嬢ちゃんのハンネ)」と泣き叫んで目が覚めたそうです。そう考えると、せめて親が死なないうちは生きていなくちゃなと思います。
正直、うちの母は私を溺愛することもあるので、立ち直れないのではないかと想像してしまうのです。
親より生きる、それが私の目標でしょうかね。
そこのブログの文章が好きで、更新がなくなっても、「いつか戻ってきてくれるのでは?」と思いながらの日々でした。
でも、ブログで「このブログはこれでおしまいにします」と発言するのはどんなに悩んだことでしょうか。
しかし、そのブログの最後の記事では、「たとえば、ブログはノートみたいなものだと思ってください。全部のページが埋まって、『できた!』という満足感。あれが私は好きなんです」と。
「だから、ブログも最終回はきちんとお伝えしようと思っていました。だらだらと白紙の時間を伸ばすより、潔くすっぱり更新を止められたらいいでしょうし」とおっしゃっていました。
でも、その方は一回復帰なさっているんですよね。だから、私もまた「いつか、また帰ってきてくれるのではないだろうか」と思いながら、ブックマークを外せずにいます。
私の知り合いは、酷い人になると勝手に自分の命を絶ってサイトを電子の海に投げ込んでそのままの人もいました。
酷い人というのは違うかな。でも、私はその人が人間として好きでした。だから、サイトの更新期限が切れてサイトが消えても、まだ信じられなくてブックマークに置いてあったりします。
その人もパワーストーン関連で、同じ病気を持っている人でしたから、メールのやり取りはしていました。
すごく博識な人で、当時パワーストーン初心者の私のつたない質問にも丁寧な文章で返してくれる人でした。今の私のパワーストーンに対する接し方は、その人が根源になっているのかもしれません。
私は、きっとその人のようにはなれないんだろうな、と思います。
でも、それでいいのかな。その人が一番最初に教えてくれたことは、「パワーストーンは、ウエブの図鑑などで石だけを見て、『あ!これだ!』という石が一番いいんですよ。効果は2の次でいいんです」ということでした。
はは、そのまんま私のスタンスになっていますね。まあ、それでも私はパワーみたいなものは感じられると思うのですが。
しかしです。今、自殺を考えているあなたは、考え直してください。
最近、無修正の死体画像を見る機会があったのですが、「いつかは私もこうなるのかもしれない」という心が宿りました。水死体の画像だったんですけどね。あれを見てから、女子高生コンクリ事件と同じような食欲の低下が見られました。あんなに好きだった夜食のカップ麺も、食べられずに積まれていくだけです。
畳の上で、綺麗な死体として処理されるのはまだいいです。事故などで頭がつぶれたり、「現実はもっと酷い」とされる遺体、亡くなって数日してから見つかった遺体などは、正直遺族の人でも辛いと思います。「ご家族ですか?」と聞かれても、分かるわけはありません。しかし、警察も死体を片付ける人は、3日くらい匂いがきえないそうです。
私は、いつ死んでもおかしくありません。
だけど、両親に深い傷を残して自分だけのうのうと逝くのは、生活保護を受けるよりもっと罪深いことだと思います。有名メンヘラー日記さんでは、死後にお母様からサイトの管理人にお手紙をいただいたそうです。
それには、一年も二年も朝飛び起きては「暁ー!暁ー!(嬢ちゃんのハンネ)」と泣き叫んで目が覚めたそうです。そう考えると、せめて親が死なないうちは生きていなくちゃなと思います。
正直、うちの母は私を溺愛することもあるので、立ち直れないのではないかと想像してしまうのです。
親より生きる、それが私の目標でしょうかね。
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