私の中のパワーストーンとは、「決して薬ではない」ということです。
だから、服用していればいいというものではありません。パワーストーンが、何もせずに幸運を運んでくるというのもおかしな話ですし。
人と接してみて、初めて分かる効果もあります。別に、「外に出ろ」というわけでもないのですが、「行動していても、自分の心が開かれていなければだめ。心を閉ざした状態で行動しても、あまり良い結果は生まない」ということですね。
たとえば、好きな人ができたとします。その人が、だめ男だったら、行動しても自分は不幸になるだけでしょう。振り回されて、疲れ果てて、どんなに愛情を尽くしてもだめな異性っていますよね。はたから見ていると、「なんであんな綺麗な子が変な男と付き合っちゃうんだろう」と思っていたのですが、そういう子って、異性に対して実は大きなトラウマがあったりします。
トラウマを治さずに、異性に走っても、本当に好きな人には出会えません。そういう子は、まず心のケアが大事なのです。
「怖い、怖い」と、防御体勢を取ってばかりいては、道を歩こうにも前を向いて歩けません。それには、勇気が必要です。他人に対して心を開くという勇気です。それには、並大抵の時間では癒せないでしょう。そこで必要になってくるのが、パワーストーンや占いなんですね。
でも、パワーストーンは、確かに道を作ってはくれますが、そこを歩くのはあなたです。一緒に道を歩いてくれる石も、「頑張れ頑張れ」と応援してくれる石もあるでしょう。しかし、本当に道を歩くのはあなた自身。だから、「前向きになれますように」ではなく、「私らしく道を歩けますように」と祈った方がいいのかと最近思ってきました。
ちょっと前に、ポジティブが全ていい!みたいな風潮があったじゃないですか。でも、どんなにポジティブで天真爛漫な人にも、暗い過去の一つや二つはあるものです。
でもね、道なんてね、外れたってどうってことないんですよ。前の文章を否定するようでなんですが。道草食って気が付けば一人取り残されたって、走れば間に合います。どれだけ走らなくてはならないかはその人次第ですが。
迷子になって道が分からなくなったら、自分で作ってしまえばいいこと。多少の擦り傷はご愛敬。「敷かれたレールの上はもう嫌だ!」というモラトリアムな時期って人間誰しもあるものじゃないですか。それで、道を外れても、人間平気なものですよ。
大事なのは、自分を肯定してあげること。まー、これが言葉じゃ簡単ですが、行動に移すのが大変な種類なんですけどね。また、肯定しすぎても「あの人ナルシストよね」とヒソヒソされてしまいます。でも、誰かアイドルが言っていた言葉では、「自分自身が自分の一番のファンでなくては」ということです。
また、自分を甘やかすのと肯定するのは違います。不摂生な生活で、親や配偶者の金でだらだらと毎日を送りながら体に悪いことをする。これは、甘やかしです。って、まるっきり私のことなんですけどねー。たはは。
しかし、ただだらだらしているように見えても、必死で生きている人もいます。私の友達にはいわゆる「心の病」を持っている人も少なくないのですが、彼女たちはそれでも必死です。「早く死ね」という幻聴と闘っている人、ストレスから、自傷行為を行う人。そういう人たちは毎日がサバイバルで、親御さんの理解も得られず、だからといって自活はできない……という人もいます。
パワーストーンに全て頼ってしまうのは危険ですが、あくまで補助的な意味で使うのならば心強い味方になってくれるでしょう。石とも、うまく付き合っていけたらいいですね。
だから、服用していればいいというものではありません。パワーストーンが、何もせずに幸運を運んでくるというのもおかしな話ですし。
人と接してみて、初めて分かる効果もあります。別に、「外に出ろ」というわけでもないのですが、「行動していても、自分の心が開かれていなければだめ。心を閉ざした状態で行動しても、あまり良い結果は生まない」ということですね。
たとえば、好きな人ができたとします。その人が、だめ男だったら、行動しても自分は不幸になるだけでしょう。振り回されて、疲れ果てて、どんなに愛情を尽くしてもだめな異性っていますよね。はたから見ていると、「なんであんな綺麗な子が変な男と付き合っちゃうんだろう」と思っていたのですが、そういう子って、異性に対して実は大きなトラウマがあったりします。
トラウマを治さずに、異性に走っても、本当に好きな人には出会えません。そういう子は、まず心のケアが大事なのです。
「怖い、怖い」と、防御体勢を取ってばかりいては、道を歩こうにも前を向いて歩けません。それには、勇気が必要です。他人に対して心を開くという勇気です。それには、並大抵の時間では癒せないでしょう。そこで必要になってくるのが、パワーストーンや占いなんですね。
でも、パワーストーンは、確かに道を作ってはくれますが、そこを歩くのはあなたです。一緒に道を歩いてくれる石も、「頑張れ頑張れ」と応援してくれる石もあるでしょう。しかし、本当に道を歩くのはあなた自身。だから、「前向きになれますように」ではなく、「私らしく道を歩けますように」と祈った方がいいのかと最近思ってきました。
ちょっと前に、ポジティブが全ていい!みたいな風潮があったじゃないですか。でも、どんなにポジティブで天真爛漫な人にも、暗い過去の一つや二つはあるものです。
でもね、道なんてね、外れたってどうってことないんですよ。前の文章を否定するようでなんですが。道草食って気が付けば一人取り残されたって、走れば間に合います。どれだけ走らなくてはならないかはその人次第ですが。
迷子になって道が分からなくなったら、自分で作ってしまえばいいこと。多少の擦り傷はご愛敬。「敷かれたレールの上はもう嫌だ!」というモラトリアムな時期って人間誰しもあるものじゃないですか。それで、道を外れても、人間平気なものですよ。
大事なのは、自分を肯定してあげること。まー、これが言葉じゃ簡単ですが、行動に移すのが大変な種類なんですけどね。また、肯定しすぎても「あの人ナルシストよね」とヒソヒソされてしまいます。でも、誰かアイドルが言っていた言葉では、「自分自身が自分の一番のファンでなくては」ということです。
また、自分を甘やかすのと肯定するのは違います。不摂生な生活で、親や配偶者の金でだらだらと毎日を送りながら体に悪いことをする。これは、甘やかしです。って、まるっきり私のことなんですけどねー。たはは。
しかし、ただだらだらしているように見えても、必死で生きている人もいます。私の友達にはいわゆる「心の病」を持っている人も少なくないのですが、彼女たちはそれでも必死です。「早く死ね」という幻聴と闘っている人、ストレスから、自傷行為を行う人。そういう人たちは毎日がサバイバルで、親御さんの理解も得られず、だからといって自活はできない……という人もいます。
パワーストーンに全て頼ってしまうのは危険ですが、あくまで補助的な意味で使うのならば心強い味方になってくれるでしょう。石とも、うまく付き合っていけたらいいですね。
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