もし、私が海外の人に「あなたは何の宗教を持っているの?」と聞かれたら、ちょっと困ると思います。
ブッディスト(仏教徒)でもあり、神道でもあり、キリスト教もちょっとかじったし、アミニズム(自然崇拝)とも言えるし……。
でもやっぱり、簡潔に言うのなら仏教徒なのかなあと思います。お盆もやりましたしね。うちは、以前トラブルがあって、祖父方の親戚とはほぼ絶縁状態ですし、社交的であった祖父が亡くなってからはあまり客の出入りもなくなったので、たとえお盆をやらなくとも済んでしまうような家系です。
まあ、それでも来てくれるお客さんはぽつぽついますし、信仰心の厚い祖母と母の切り盛りする家系ですから、それなりにやっています。
祖母が亡くなったらこの風習もなくなってしまうかなあと思いますが、その頃は母も定年で家にいると思いますので、やはり続けて行くのかなとも考えます。
うちの仏壇はいつもピカピカに磨かれ、お花も毎日あげられています。綺麗好きの祖母のおかげです。
神棚はというと、ちょっと奥まったところにあり、いまいち光が入らない場所に祀られているので、そんなに注意して見なければ分かりません。
しかし、お願い事はやはり神棚にするのが良いようです。私の持病の具合が最高に悪い時、藁にもすがる思いで神棚に「どうかお助けください」とお祈りをしたところ、祖母が産土神から出てくる神獣の夢を見て、それで何故か私も一緒にその神社にお参りに行くことになったりしました。
持病の具合も段々に良くなり、それまで「この病気ではないか」と診断されていた病気が「どうも違うようだ」となり、お薬を替えたら劇的に症状が治まるといった状況にもなりました。
さて、ここは石ブログなので、石の話もしましょう。
ガーデンクォーツですが、すっごく優しい波動の石のようです。なので、やはり精神的・肉体的に弱っている人にはこれ以上ないお守りになると思います。
たとえば、風邪を引いて寝込んでいる人に「スタミナが大事だ!肉食え!」と焼き肉を食べさせるのは酷ですよね。風邪を引いたらまずはお粥やゼリー飲料などの食べやすいものを食べさせます。それと同じで、弱っている時にあまり強い石を渡すと結構きつかったりするんですよ。まあ、本人が「これが好き」と言うならばそうした方がいいのかもしれませんが。
ちなみに、ガーデンクォーツですが、なぜか「うれし、うれしです」と言っています。何が嬉しいのかは分からないのですが。どうも、私が何気なくしている習慣が嬉しいらしいです。何だろう?お風呂で洗ってあげるとか?
もちろん、石の機嫌が良いに越したことはありません。石の機嫌が良ければ、それだけお願いを叶えてくれることもあるでしょう。
でも、私としては、石が機嫌よくしてくれているだけでこっちも嬉しいんですけどね。可愛いし。別に願いを叶えてくれなくても、それでいいような気がします。
そうそう、「石にプログラミングをしたら人に見せてはいけない」というのも、ちょっと分かって来た気がします。
なんとなく、皆さんは誰かと知り合った時に「この人は私より下がいいな」と思いませんか?私は、性格が悪いからなのかそう思ってしまうんですね。で、ブログなんかでも綺麗な石を買ったと喜んでいると、「へー……良かったね」と取り繕いつつも、どこかで「失敗すればいいのに」と思ったりしませんか?
その念が石にとって良くないと思うんですよ。ネットの画像だけでも念は飛びます。本人に繋がっているのは同じですしね。
私は、何個か石の写真を載せていますが、どれも念は込めていません。しかし、もし石を羨んだり嫉妬したりしている感情が入ってしまうとしたら、それも厄介なことです。
だからといって、石は他人に見せない、というのもうーん?と思います。嫉妬ややっかみに遭わないために自衛するというのも分かるんですが、でも、「これはこういう石ですよ」というのって文章で書くより実際に見てもらった方が早いじゃないですか。イスラム圏では、嫉妬は邪眼と言われ、邪眼に遭わないためにお金持ちでも見かけは質素に、そして内装を豪華にするそうです。それもまあ、分からないではないですけど、ちょっとつまんないなと思ってしまいますよね。
それに、石って何万年も生きているわけで、そんな小さな嫉妬ぐらいでどうなるとかはないと思うんですよ。それを言ったらプログラミングも意味ないんじゃないかと思ったりしますが、石の意思は案外強いです。なので、多少のマイナスの感情ははねかえします。
だから、あんまり「ちょっと見られちゃったかも、変な念が入ったらどうしよう」とか思うこともないですよ。もっと石の強さを信じてあげましょう。
ブッディスト(仏教徒)でもあり、神道でもあり、キリスト教もちょっとかじったし、アミニズム(自然崇拝)とも言えるし……。
でもやっぱり、簡潔に言うのなら仏教徒なのかなあと思います。お盆もやりましたしね。うちは、以前トラブルがあって、祖父方の親戚とはほぼ絶縁状態ですし、社交的であった祖父が亡くなってからはあまり客の出入りもなくなったので、たとえお盆をやらなくとも済んでしまうような家系です。
まあ、それでも来てくれるお客さんはぽつぽついますし、信仰心の厚い祖母と母の切り盛りする家系ですから、それなりにやっています。
祖母が亡くなったらこの風習もなくなってしまうかなあと思いますが、その頃は母も定年で家にいると思いますので、やはり続けて行くのかなとも考えます。
うちの仏壇はいつもピカピカに磨かれ、お花も毎日あげられています。綺麗好きの祖母のおかげです。
神棚はというと、ちょっと奥まったところにあり、いまいち光が入らない場所に祀られているので、そんなに注意して見なければ分かりません。
しかし、お願い事はやはり神棚にするのが良いようです。私の持病の具合が最高に悪い時、藁にもすがる思いで神棚に「どうかお助けください」とお祈りをしたところ、祖母が産土神から出てくる神獣の夢を見て、それで何故か私も一緒にその神社にお参りに行くことになったりしました。
持病の具合も段々に良くなり、それまで「この病気ではないか」と診断されていた病気が「どうも違うようだ」となり、お薬を替えたら劇的に症状が治まるといった状況にもなりました。
さて、ここは石ブログなので、石の話もしましょう。
ガーデンクォーツですが、すっごく優しい波動の石のようです。なので、やはり精神的・肉体的に弱っている人にはこれ以上ないお守りになると思います。
たとえば、風邪を引いて寝込んでいる人に「スタミナが大事だ!肉食え!」と焼き肉を食べさせるのは酷ですよね。風邪を引いたらまずはお粥やゼリー飲料などの食べやすいものを食べさせます。それと同じで、弱っている時にあまり強い石を渡すと結構きつかったりするんですよ。まあ、本人が「これが好き」と言うならばそうした方がいいのかもしれませんが。
ちなみに、ガーデンクォーツですが、なぜか「うれし、うれしです」と言っています。何が嬉しいのかは分からないのですが。どうも、私が何気なくしている習慣が嬉しいらしいです。何だろう?お風呂で洗ってあげるとか?
もちろん、石の機嫌が良いに越したことはありません。石の機嫌が良ければ、それだけお願いを叶えてくれることもあるでしょう。
でも、私としては、石が機嫌よくしてくれているだけでこっちも嬉しいんですけどね。可愛いし。別に願いを叶えてくれなくても、それでいいような気がします。
そうそう、「石にプログラミングをしたら人に見せてはいけない」というのも、ちょっと分かって来た気がします。
なんとなく、皆さんは誰かと知り合った時に「この人は私より下がいいな」と思いませんか?私は、性格が悪いからなのかそう思ってしまうんですね。で、ブログなんかでも綺麗な石を買ったと喜んでいると、「へー……良かったね」と取り繕いつつも、どこかで「失敗すればいいのに」と思ったりしませんか?
その念が石にとって良くないと思うんですよ。ネットの画像だけでも念は飛びます。本人に繋がっているのは同じですしね。
私は、何個か石の写真を載せていますが、どれも念は込めていません。しかし、もし石を羨んだり嫉妬したりしている感情が入ってしまうとしたら、それも厄介なことです。
だからといって、石は他人に見せない、というのもうーん?と思います。嫉妬ややっかみに遭わないために自衛するというのも分かるんですが、でも、「これはこういう石ですよ」というのって文章で書くより実際に見てもらった方が早いじゃないですか。イスラム圏では、嫉妬は邪眼と言われ、邪眼に遭わないためにお金持ちでも見かけは質素に、そして内装を豪華にするそうです。それもまあ、分からないではないですけど、ちょっとつまんないなと思ってしまいますよね。
それに、石って何万年も生きているわけで、そんな小さな嫉妬ぐらいでどうなるとかはないと思うんですよ。それを言ったらプログラミングも意味ないんじゃないかと思ったりしますが、石の意思は案外強いです。なので、多少のマイナスの感情ははねかえします。
だから、あんまり「ちょっと見られちゃったかも、変な念が入ったらどうしよう」とか思うこともないですよ。もっと石の強さを信じてあげましょう。
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