私には夢があります。
それは、「物書き」になること。ジャンルは問いません。とにかく、筆一本で食べていけるようになりたいんです。
私の夢は、小学校2年生の時から始まりました。当時の担任の先生に、「君は文章を書く才能があるね」というようなことを言われたのです。
それまで、小学生らしく漠然とした夢しか持っていなかった私には、それが衝撃でした。それは、「君には翼がある。だから空を飛ぶことができる」と言われたにも等しかったのです。
それから、私はせっせと日記など文章を書く作業に没頭しました。今思えば、当時の宿題は祖母が見ており、祖母の言ったとおりのことを書いていただけなので、認められるのは当たり前だったのかもしれません。
しかし、私は色んな方法で物書きになる作業を始めました。
そんな時、ショックなことが起こります。小学校3~4年だったでしょうか。当時、「朝の詩の時間」といって、詩を書く時間があったのですが、その後先生に呼びだされ、「本当にこれはあなたが書いたの?何かを見て書いたんじゃないの?」と言われたのです。
確かに、私は朝の詩の番組を見てから学校に行く日々を送っていました。しかし、一回しか放送されていない番組の内容を詳しく覚えているはずもありません。
昔から家では「姫」とまで言われて、そういうマイナスの感情に疎かった私は、きょとんとして「いいえ、私が書きました」と言ったのですが、先生は「ふーん……」と最後まで信じていなさそうだったのです。
それからは、詩のことは忘れて、小説や日記を書き続けました。といっても、小説はいつも長編の割には完結しておらず、日記もどこかでかじったような言葉ばかり……しかし、中学に上がった時、担任との交換日記に「非常に面白い文章を書きますね!行く末はエッセイストでしょうか」と書かれ、「やっぱり私には翼があるんだ!」と確信しました。
中学に入ってからは、小説を書いて友達と見せ合うということを繰り返しました。やはり、その時も小説は未完のまま、中学を卒業しました。
そして、時代は暗黒に入ります。高校時代、学級日誌におちゃらけた文章を書いていたのですが、ある日それがクラスの問題児に見つかってしまいます。
「なにこれ、おもしれえじゃん」と言われて読まれていたのですが、その中の一人に「てか、いつもは暗いくせにこういうのって気持ち悪いよな」と言われたのです。その一言は、私の心を酷く傷つけました。
それから、私はぴたりと創作活動を止めました。
「お前には翼なんてない。一生そうやって勘違いしながら這いつくばって生きるんだよ」と言われたような気がしたのです。
しかし、また羽ばたいてみようと思ったのはいつか分かりません。
気が付けば、私はブログを立ち上げ、日記を書いていました。当時のブログは残念ながらもう閉めてしまったのですが、こう思ったのです。「一生気狂いのようにバカみたいにパタパタ手を動かしているだけでもいい。それは、誰に蔑まれてもいい。翼なんかなくてもいいから、私は私の才能に生涯を賭けたい!」と。
……パワーストーンブログで書くことではなかったかもしれませんね。でも、私には夢があるんです。「君には翼がある」と言われて始まった、「物書きになる」という夢。私を励まし、そして傷つけた夢。でも、私はこの夢と一緒に生きてきたんです。夢なしでは私の生活はありえないんです。
私には夢があります。それは、「物書きになる」という夢。
笑う人は笑ってください。それでも、私は前を向くと決めたのです。
それは、「物書き」になること。ジャンルは問いません。とにかく、筆一本で食べていけるようになりたいんです。
私の夢は、小学校2年生の時から始まりました。当時の担任の先生に、「君は文章を書く才能があるね」というようなことを言われたのです。
それまで、小学生らしく漠然とした夢しか持っていなかった私には、それが衝撃でした。それは、「君には翼がある。だから空を飛ぶことができる」と言われたにも等しかったのです。
それから、私はせっせと日記など文章を書く作業に没頭しました。今思えば、当時の宿題は祖母が見ており、祖母の言ったとおりのことを書いていただけなので、認められるのは当たり前だったのかもしれません。
しかし、私は色んな方法で物書きになる作業を始めました。
そんな時、ショックなことが起こります。小学校3~4年だったでしょうか。当時、「朝の詩の時間」といって、詩を書く時間があったのですが、その後先生に呼びだされ、「本当にこれはあなたが書いたの?何かを見て書いたんじゃないの?」と言われたのです。
確かに、私は朝の詩の番組を見てから学校に行く日々を送っていました。しかし、一回しか放送されていない番組の内容を詳しく覚えているはずもありません。
昔から家では「姫」とまで言われて、そういうマイナスの感情に疎かった私は、きょとんとして「いいえ、私が書きました」と言ったのですが、先生は「ふーん……」と最後まで信じていなさそうだったのです。
それからは、詩のことは忘れて、小説や日記を書き続けました。といっても、小説はいつも長編の割には完結しておらず、日記もどこかでかじったような言葉ばかり……しかし、中学に上がった時、担任との交換日記に「非常に面白い文章を書きますね!行く末はエッセイストでしょうか」と書かれ、「やっぱり私には翼があるんだ!」と確信しました。
中学に入ってからは、小説を書いて友達と見せ合うということを繰り返しました。やはり、その時も小説は未完のまま、中学を卒業しました。
そして、時代は暗黒に入ります。高校時代、学級日誌におちゃらけた文章を書いていたのですが、ある日それがクラスの問題児に見つかってしまいます。
「なにこれ、おもしれえじゃん」と言われて読まれていたのですが、その中の一人に「てか、いつもは暗いくせにこういうのって気持ち悪いよな」と言われたのです。その一言は、私の心を酷く傷つけました。
それから、私はぴたりと創作活動を止めました。
「お前には翼なんてない。一生そうやって勘違いしながら這いつくばって生きるんだよ」と言われたような気がしたのです。
しかし、また羽ばたいてみようと思ったのはいつか分かりません。
気が付けば、私はブログを立ち上げ、日記を書いていました。当時のブログは残念ながらもう閉めてしまったのですが、こう思ったのです。「一生気狂いのようにバカみたいにパタパタ手を動かしているだけでもいい。それは、誰に蔑まれてもいい。翼なんかなくてもいいから、私は私の才能に生涯を賭けたい!」と。
……パワーストーンブログで書くことではなかったかもしれませんね。でも、私には夢があるんです。「君には翼がある」と言われて始まった、「物書きになる」という夢。私を励まし、そして傷つけた夢。でも、私はこの夢と一緒に生きてきたんです。夢なしでは私の生活はありえないんです。
私には夢があります。それは、「物書きになる」という夢。
笑う人は笑ってください。それでも、私は前を向くと決めたのです。
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