以前、ロザリオの記述で「祝福」とか「祝別」といった話を書きましたが、それについては何も説明なしで、「結局何なのよ」と読み返して自分で思ったので、今更ながら解説を書きます。
ここでは、情報サイトなどでよく使われている「祝別」という言葉を使いますね。「祝福」も「祝別」も意味は同じですが。
さて、祝別で軽く検索してみると、「人、物、信心と礼拝のための物」を「祝別」することができるようです。
人の場合は「洗礼」と何か違うのでしょうか?そこんところ詳しいサイトがなかったので良く分かっていません。分かったら書きます。すみません。
しかし、中世ヨーロッパの「死の病」とされたペスト流行の際には、ペストは悪魔の病とされて神父様が人に対して祝別を行ったということが記されています。
祝別は一時的なもので、洗礼は一生ものという感じでしょうかね?ちなみに、洗礼は「受けるとそれまでの全ての罪が許される」とされているので、死の床についた老人が洗礼を受けることが多かったらしいです。しかし、最近では「罪を犯さぬように」と子供のうちから洗礼を受けさせるのが主になっていますね。
さて、祝別。私の言っている祝別は、ロザリオ・メダイなどのことで、これは「信心と礼拝のための道具」を「聖なる道具」にするということだそうです。
「信心と礼拝のための道具」なので、使わなければあまり意味がありません。ですから、「お守り」ともちょっと違うのですね。仏教でも数珠というれっきとしたお祈りの道具がありますが、そんな感じです。
大きな教会では、お品を販売するコーナーがあったり、最近ではオンラインショップを設けたりもしていますが、「祝別」された道具は売買することができません。万が一「祝別」されたものを売ってしまった場合、重い刑にされるので、「無料で祝別されるものなら買う人間もいるだろう」とオークションなどに出すのは止めておきましょう。
では、一般人はどうやって「祝別」してもらえばいいのか。それは、「近くの教会を調べて、カトリックの教会に足を運んで、神父様に直々にお願いする」という方法しかありません。「ネットで配送してもらって~」というズルはできませんので。
ちなみに、絶対カトリックの教会です。プロテスタントの牧師様は、偶像崇拝やそもそもマリア崇拝をしていないので、祝別はできないのです。
そういう私も、いまだに祝別してもらったことも、教会に足を運んだことすらありません。近くにカトリックの教会がないのと、持病を持っているのであまり遠くに行くことができないからです。
ですから、「ここを見て祝別してもらったよ~こんな感じでしたよ~」という体験談は大歓迎ですので、もしこの記事を読んで祝別や教会に足を運んだ人は、私に教えてくださると助かります。
私が今行きたいのは、「女子パウロ会」の「ロザリオの祈りを一緒にしましょう」という集まりです。いつも、完全に唱えきれずに飽きてしまったりするので、そういった集まりなら飽きっぽい私でもできるかと。ははは、不純な動機ですねー。
ここでは、情報サイトなどでよく使われている「祝別」という言葉を使いますね。「祝福」も「祝別」も意味は同じですが。
さて、祝別で軽く検索してみると、「人、物、信心と礼拝のための物」を「祝別」することができるようです。
人の場合は「洗礼」と何か違うのでしょうか?そこんところ詳しいサイトがなかったので良く分かっていません。分かったら書きます。すみません。
しかし、中世ヨーロッパの「死の病」とされたペスト流行の際には、ペストは悪魔の病とされて神父様が人に対して祝別を行ったということが記されています。
祝別は一時的なもので、洗礼は一生ものという感じでしょうかね?ちなみに、洗礼は「受けるとそれまでの全ての罪が許される」とされているので、死の床についた老人が洗礼を受けることが多かったらしいです。しかし、最近では「罪を犯さぬように」と子供のうちから洗礼を受けさせるのが主になっていますね。
さて、祝別。私の言っている祝別は、ロザリオ・メダイなどのことで、これは「信心と礼拝のための道具」を「聖なる道具」にするということだそうです。
「信心と礼拝のための道具」なので、使わなければあまり意味がありません。ですから、「お守り」ともちょっと違うのですね。仏教でも数珠というれっきとしたお祈りの道具がありますが、そんな感じです。
大きな教会では、お品を販売するコーナーがあったり、最近ではオンラインショップを設けたりもしていますが、「祝別」された道具は売買することができません。万が一「祝別」されたものを売ってしまった場合、重い刑にされるので、「無料で祝別されるものなら買う人間もいるだろう」とオークションなどに出すのは止めておきましょう。
では、一般人はどうやって「祝別」してもらえばいいのか。それは、「近くの教会を調べて、カトリックの教会に足を運んで、神父様に直々にお願いする」という方法しかありません。「ネットで配送してもらって~」というズルはできませんので。
ちなみに、絶対カトリックの教会です。プロテスタントの牧師様は、偶像崇拝やそもそもマリア崇拝をしていないので、祝別はできないのです。
そういう私も、いまだに祝別してもらったことも、教会に足を運んだことすらありません。近くにカトリックの教会がないのと、持病を持っているのであまり遠くに行くことができないからです。
ですから、「ここを見て祝別してもらったよ~こんな感じでしたよ~」という体験談は大歓迎ですので、もしこの記事を読んで祝別や教会に足を運んだ人は、私に教えてくださると助かります。
私が今行きたいのは、「女子パウロ会」の「ロザリオの祈りを一緒にしましょう」という集まりです。いつも、完全に唱えきれずに飽きてしまったりするので、そういった集まりなら飽きっぽい私でもできるかと。ははは、不純な動機ですねー。
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なんか、最近ロザリオを持ち始めたせいか、キリストづいています。
「興味ない。石のことだけ書け」という読者様もいらっしゃるでしょうが、我慢して聞いてください。
私は、元々バリバリの仏教徒で、生まれた時から神道信者でもあります。他にも、お稲荷様、恵比寿様、ショウキ様(鬼をやっつける神様)などが家にはおり、何かを信仰するということは日常と同じでした。
お祭り(といっても、家の中だけの行事も含む)になると、祖母は前の晩から小豆を仕込み、必ずお赤飯を炊いてお供えしました。
また、今はもう亡くなっている母方の祖母は、「神様は何を拝んでもいいのよ」というスタンスの持ち主で、古来の宗教から新興宗教まで、幅広く教えを聞いていたそうです。ただし、それは祖父の居ない時だけで、祖父は実に東北人の職人らしい、頑固で神仏に祈ったりは滅多にしないリアリストだったそうです。
母は、そんな祖母の背中を見て育ったせいか、非常に信心深い人になりました。
そんな家庭に育ったせいか、私も信心は深いと思います。魂や神秘体験などの目に見えない現象も信じ、すっかりスピリチュアルな人間ができあがりました。
そんな私がパワーストーンに惹かれるのはある意味当然だったでしょう。
しかし、キリスト教の教えは心に合わず、キリスト教のシンボルである十字架やロザリオはファッションとして好きだという程度で、ロザリオを買ってもお祈りなどはしませんでした。
けれど、最近になってtwitterで「マザー・テレサbot」なるものに出会い、その言葉に深く共感するようになりました。そして、「キリストの教えは分からなくとも、それに従うマザー・シスターの言葉は何故か安らぐ」ことに気づき、ようやく『ロザリオの祈り』も一日に一言だけでもとお祈りをするようになりました。机の奥に入っていたお祈りの仕方にも目を通し、現在はカンペなしでもお祈りの文句が謡えるようになることが目標です。
この今の状況になるまでには、きっと沢山の『縁』を結ぶ偶然があったと思います。あの時、ロザリオを教会で買わずに、お祈りの仕方も知らなかったら。あの時、マザーテレサの言葉に出会わなかったら……。偶然と言うにはあまりにもできすぎた『ご縁』ではありませんか?
皆さまにも、素敵な出会いがありますように……。
「興味ない。石のことだけ書け」という読者様もいらっしゃるでしょうが、我慢して聞いてください。
私は、元々バリバリの仏教徒で、生まれた時から神道信者でもあります。他にも、お稲荷様、恵比寿様、ショウキ様(鬼をやっつける神様)などが家にはおり、何かを信仰するということは日常と同じでした。
お祭り(といっても、家の中だけの行事も含む)になると、祖母は前の晩から小豆を仕込み、必ずお赤飯を炊いてお供えしました。
また、今はもう亡くなっている母方の祖母は、「神様は何を拝んでもいいのよ」というスタンスの持ち主で、古来の宗教から新興宗教まで、幅広く教えを聞いていたそうです。ただし、それは祖父の居ない時だけで、祖父は実に東北人の職人らしい、頑固で神仏に祈ったりは滅多にしないリアリストだったそうです。
母は、そんな祖母の背中を見て育ったせいか、非常に信心深い人になりました。
そんな家庭に育ったせいか、私も信心は深いと思います。魂や神秘体験などの目に見えない現象も信じ、すっかりスピリチュアルな人間ができあがりました。
そんな私がパワーストーンに惹かれるのはある意味当然だったでしょう。
しかし、キリスト教の教えは心に合わず、キリスト教のシンボルである十字架やロザリオはファッションとして好きだという程度で、ロザリオを買ってもお祈りなどはしませんでした。
けれど、最近になってtwitterで「マザー・テレサbot」なるものに出会い、その言葉に深く共感するようになりました。そして、「キリストの教えは分からなくとも、それに従うマザー・シスターの言葉は何故か安らぐ」ことに気づき、ようやく『ロザリオの祈り』も一日に一言だけでもとお祈りをするようになりました。机の奥に入っていたお祈りの仕方にも目を通し、現在はカンペなしでもお祈りの文句が謡えるようになることが目標です。
この今の状況になるまでには、きっと沢山の『縁』を結ぶ偶然があったと思います。あの時、ロザリオを教会で買わずに、お祈りの仕方も知らなかったら。あの時、マザーテレサの言葉に出会わなかったら……。偶然と言うにはあまりにもできすぎた『ご縁』ではありませんか?
皆さまにも、素敵な出会いがありますように……。
ロザリオを買う時に、「1連と5連の違いはなんぞ?」って思う人もいらっしゃるかと思います。
ロザリオは、1連が5粒+離れたところに1粒にメダイなどであるのに対して、5連はそれの5倍と考えてください。つまり、1連はブレスレットになり、5連は首飾りになります。
正式な身に付け方は腰からぶら下げるものらしいですけどねー。お祈りの道具なので、首からさげるのはアクセサリーとしての使い方。本来の使い方ではないのですよ。
でも、私は教えを聞いた後もネックレスとして使っていますが。アクセサリーとしてのロザリオも好きなのでー。腰じゃ見えないでしょう?可愛いものだったら見せたいじゃないですか!
ちなみに、5粒のお祈りの仕方は、以下の通りです。
「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方。主はあなたとともにおられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。神の母聖マリア、わたしたち罪人のために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン(その通りです)。」
マリア様のお祈りなので、プロテスタントはロザリオを含め、全ての偶像を禁止しています。
なので、ロザリオを付けて教会に行く時は、必ずその教会がカトリックかプロテスタントかを確認してから出掛けてくださいね。
知らずにプロテスタントの教会で「祝別をお願いします」と言ったら「できません」と言われたケースもあるそうなので。
ちなみに、祝別は無料でやってくれます。寄付を求められたら、お賽銭ぐらいの金額を入れてあげてください。
それと、ネット上ではメダイを不当に高額な金額で売っていたり、無料としているのに後からお金を請求されたというトラブルもあるそうなので、できればドン・ボスコ社、女子パウロ会、サンパウロなど大手の教会で購入されることをお勧めします。
当たり前ですが、神様はお金を儲けようとは思いません。ですから、体質で金しか合わないとか、なんとなくカッコイイからという理由で金製銀製のものをお求められるのもいいと思いますが、別にそれらを身に付けたからといって、アルミ製銅製の廉価なものより恵みがあるというわけではありません。神様の恵みは一緒です。
私が今身に付けているのは、女子パウロ会のオンラインショップで購入したアルミ製のロザリオです。1500円ぐらいだったと思います。それでも、十分恵みはあると思っていますよ。
ロザリオは、1連が5粒+離れたところに1粒にメダイなどであるのに対して、5連はそれの5倍と考えてください。つまり、1連はブレスレットになり、5連は首飾りになります。
正式な身に付け方は腰からぶら下げるものらしいですけどねー。お祈りの道具なので、首からさげるのはアクセサリーとしての使い方。本来の使い方ではないのですよ。
でも、私は教えを聞いた後もネックレスとして使っていますが。アクセサリーとしてのロザリオも好きなのでー。腰じゃ見えないでしょう?可愛いものだったら見せたいじゃないですか!
ちなみに、5粒のお祈りの仕方は、以下の通りです。
「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方。主はあなたとともにおられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。神の母聖マリア、わたしたち罪人のために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン(その通りです)。」
マリア様のお祈りなので、プロテスタントはロザリオを含め、全ての偶像を禁止しています。
なので、ロザリオを付けて教会に行く時は、必ずその教会がカトリックかプロテスタントかを確認してから出掛けてくださいね。
知らずにプロテスタントの教会で「祝別をお願いします」と言ったら「できません」と言われたケースもあるそうなので。
ちなみに、祝別は無料でやってくれます。寄付を求められたら、お賽銭ぐらいの金額を入れてあげてください。
それと、ネット上ではメダイを不当に高額な金額で売っていたり、無料としているのに後からお金を請求されたというトラブルもあるそうなので、できればドン・ボスコ社、女子パウロ会、サンパウロなど大手の教会で購入されることをお勧めします。
当たり前ですが、神様はお金を儲けようとは思いません。ですから、体質で金しか合わないとか、なんとなくカッコイイからという理由で金製銀製のものをお求められるのもいいと思いますが、別にそれらを身に付けたからといって、アルミ製銅製の廉価なものより恵みがあるというわけではありません。神様の恵みは一緒です。
私が今身に付けているのは、女子パウロ会のオンラインショップで購入したアルミ製のロザリオです。1500円ぐらいだったと思います。それでも、十分恵みはあると思っていますよ。
なんか、キリスト系のブログ読んでたら、キリストは悪魔に誘われた時に3つの誘惑を振り切ったとされているようです。
1つ目は、金。「貧しい者にではなく、金持ちに奇跡を見せれば大金持ちになれる」。
2つ目は、コネ。「権力者に擦り寄れば楽な暮らしができる」。
3つ目は、PR。「もっと多くの者に信仰されたいだろう?」。
でも、これって、釈迦は生まれた時から全てを持っていたんですよね。
キリストが貧しい大工の家に生まれたのに対して、釈迦は一国の王子。金もコネもPRも、全てを持っていたにも関わらず、それを全て捨てて貧しい者・苦しむ者のために悟りを開こうとしたのですから。
相対しているように見えて、しかし思いは同じ。「苦しみ・迷える民衆を救いたい」という一心で一方は苦難に立ち向かい、一方は厳しい修行に出たのです。
私は、どちらも信じられますよ。一応、家は仏教徒でお墓もありますし、神道の天照のお札の神棚もあって、毎日祖母が一番初めに汲んだ水をお供えしています。でも、キリスト教徒が他の信仰を捨てなくとも良いとしたら、洗礼を受けるかもしれませんw
私が学生の頃に、校門の前で聖書を配っていて、それを読んだことはあるのですが、正直その時は「なんだこれ。こんなのが全知全能の神とか、外人はどれだけドMなんだよ」と思っていました。
でも、私の場合どうも聖書の内容はどうでもよくて、キリスト教に生きる人々の言葉なんかを読んでいると、とても安らぐ感じがするんです。
そういう信仰もアリでいいですかー?的な。
ロザリオも、十字架も、モチーフとしてすごく洗練されていると思いますしね。だから、ファッションから入るのもアリだと思います。ただ、日本人は「全知全能の神様を崇めないと皆地獄に落ちるだか?なら、おらのじさまもばさまも地獄にいるだか?そったら、自分だけ助かろうなんて不孝はできね!おらもじさまとばさまのいる地獄に落ちるだ!」と農民が言うので、バチカンから直々に「日本人だけ特別だよ!」という処置をされたといいます。そんな日本人が、私は好きですけどね。
1つ目は、金。「貧しい者にではなく、金持ちに奇跡を見せれば大金持ちになれる」。
2つ目は、コネ。「権力者に擦り寄れば楽な暮らしができる」。
3つ目は、PR。「もっと多くの者に信仰されたいだろう?」。
でも、これって、釈迦は生まれた時から全てを持っていたんですよね。
キリストが貧しい大工の家に生まれたのに対して、釈迦は一国の王子。金もコネもPRも、全てを持っていたにも関わらず、それを全て捨てて貧しい者・苦しむ者のために悟りを開こうとしたのですから。
相対しているように見えて、しかし思いは同じ。「苦しみ・迷える民衆を救いたい」という一心で一方は苦難に立ち向かい、一方は厳しい修行に出たのです。
私は、どちらも信じられますよ。一応、家は仏教徒でお墓もありますし、神道の天照のお札の神棚もあって、毎日祖母が一番初めに汲んだ水をお供えしています。でも、キリスト教徒が他の信仰を捨てなくとも良いとしたら、洗礼を受けるかもしれませんw
私が学生の頃に、校門の前で聖書を配っていて、それを読んだことはあるのですが、正直その時は「なんだこれ。こんなのが全知全能の神とか、外人はどれだけドMなんだよ」と思っていました。
でも、私の場合どうも聖書の内容はどうでもよくて、キリスト教に生きる人々の言葉なんかを読んでいると、とても安らぐ感じがするんです。
そういう信仰もアリでいいですかー?的な。
ロザリオも、十字架も、モチーフとしてすごく洗練されていると思いますしね。だから、ファッションから入るのもアリだと思います。ただ、日本人は「全知全能の神様を崇めないと皆地獄に落ちるだか?なら、おらのじさまもばさまも地獄にいるだか?そったら、自分だけ助かろうなんて不孝はできね!おらもじさまとばさまのいる地獄に落ちるだ!」と農民が言うので、バチカンから直々に「日本人だけ特別だよ!」という処置をされたといいます。そんな日本人が、私は好きですけどね。
ロザリオはアルミ製なので、お風呂には一緒に入ったりしていなかったのですが、何故か今日はそれを忘れてお風呂に……。
で、「あ、ロザリオ付けてたんだっけ。まあ1日ぐらいいいか」と思ってついでに「メダイの祈り」をしてみたら、なんかメダイが変なのです。
メダイに触れている指がムズムズするような……。で、気付いたのです。「メダイが生きてる!?」
……いや、何言ってるのか分からないと思うのですが、私も説明しようとするとよく分かりません。でも、何か、「生き物に触れている感じ」といいましょうか。
じゃあキリストは?と思って十字架の方を触ってみたのですが、その感覚はしませんでした。メダイだけです。不思議なんですけどね。
ちなみに、私のこのロザリオは特別なものではありません。一応正式な教会から通販で買ったものですが、それだけです。だから、「そんな感覚するの?」って疑問に思った方は、ロザリオでもメダイでもいいので、持ってお祈りをしてみてください。一回2回では何ともなくとも、ある日突然不思議な感覚に包まれることがあると思います。
私はキリスト教の教え自体はあまり心に染みないのですが、体的には合うようです。逆に、日本古来の神道なんかは、教えは好きでも体には強すぎるようで吐き気がしたりお腹が痛くなったりぼーっとしたりします。仏教は合っているようですが。
さて、メダイですが、お祈りの仕方はすごく簡単です。「おお、無原罪の聖母マリア、あなたを頼る我らのために祈りたまえ」と、それだけでいいのです。祈りの仕方に作法はありません。
で、この「我ら」という解釈の仕方が今まで引っかかっていたのですが、今日、「我ら=同志たち」となんとなく腑に落ちました。教会などでは、男性は「ブラザー」女性は「シスター」と呼びあいますよね。あんな感じかと。
「私たちは神の子であり、神の前では皆平等なのです」という教えが、なんとなく今は分かるような気がします。お金や地位や名誉は、赤子の前では何の意味もありません。そういう解釈で良いんでしょうか?
で、「あ、ロザリオ付けてたんだっけ。まあ1日ぐらいいいか」と思ってついでに「メダイの祈り」をしてみたら、なんかメダイが変なのです。
メダイに触れている指がムズムズするような……。で、気付いたのです。「メダイが生きてる!?」
……いや、何言ってるのか分からないと思うのですが、私も説明しようとするとよく分かりません。でも、何か、「生き物に触れている感じ」といいましょうか。
じゃあキリストは?と思って十字架の方を触ってみたのですが、その感覚はしませんでした。メダイだけです。不思議なんですけどね。
ちなみに、私のこのロザリオは特別なものではありません。一応正式な教会から通販で買ったものですが、それだけです。だから、「そんな感覚するの?」って疑問に思った方は、ロザリオでもメダイでもいいので、持ってお祈りをしてみてください。一回2回では何ともなくとも、ある日突然不思議な感覚に包まれることがあると思います。
私はキリスト教の教え自体はあまり心に染みないのですが、体的には合うようです。逆に、日本古来の神道なんかは、教えは好きでも体には強すぎるようで吐き気がしたりお腹が痛くなったりぼーっとしたりします。仏教は合っているようですが。
さて、メダイですが、お祈りの仕方はすごく簡単です。「おお、無原罪の聖母マリア、あなたを頼る我らのために祈りたまえ」と、それだけでいいのです。祈りの仕方に作法はありません。
で、この「我ら」という解釈の仕方が今まで引っかかっていたのですが、今日、「我ら=同志たち」となんとなく腑に落ちました。教会などでは、男性は「ブラザー」女性は「シスター」と呼びあいますよね。あんな感じかと。
「私たちは神の子であり、神の前では皆平等なのです」という教えが、なんとなく今は分かるような気がします。お金や地位や名誉は、赤子の前では何の意味もありません。そういう解釈で良いんでしょうか?