今日、母と一緒に美輪さんの番組を観ていたところ、母が急に居住まいを正して、「かみな。あんたは沢山泣いたし沢山悩んだ。だから、これから神様がきっと運を授けてくださるよ」と言われました。
私の母はとても強い人で、若い頃は中卒ですぐに看護学校へ行き、看護師として働きながら叔母二人の大学までの通学費用をねん出しました。
その後も、結婚、出産とありましたが、私は母が愚痴を言ったり泣きごとを言ったりするところを見たことがありません。たまに職場でのお笑い話をして、食卓をにぎやかすことはありますが、とにかくマイナスのことは言ったことがありませんでした。
そんな母を泣かせてしまったのは、私がまだ病気だと誰も気づいていない時です。
私は学校に行かなくなり、そんな私を母や父、祖母は許しませんでした。かろうじてその時存命だった祖父は「かみなの思う通りにさせてやりなさい」と私が知らない所で皆を諭していたらしいですけど、とにかくその時は、私には味方なんて一人もいないんだ、という孤独感に打ちのめされました。
果てには、優しかった父に「出ていけ」とまで言われ、泣きながら荷造りをしたこともあります。おそらく、父も母も祖母も、それまで順調すぎるほど順調だった私の変わりように戸惑い、どう接していいのか分からなくなっていたのだと思います。
そんな中、私はついに首を吊るという自殺のまねごとに手を出しました。首を吊り、何度も途中で苦しくなったり暴れては失敗をする、ということを重ねました。
それから、私は高卒認定を取って大学へ。しかし、嫌々行っている大学が続くはずもなく、「大学へ行く」と言って家を出ては図書館や本屋でひたすら時間をつぶす、という生活を送っていました。
とにかく、漫画から専門書まで、本はひたすら読みました。私にはそれしか時間をつぶす方法が分からなかったのです。
足が疲れたら、トイレで休憩して、また本屋へ、という生活を繰り返しました。
それから、私は初めての一人暮らしへ。それも、前々から計画を練ってほとんど家出状態で、お金がなくなったら死のう、と思っていました。
しかし、そんな私の決意を知っていたのか、母は誰にも内緒で家賃代+1万円ぐらいのお金をくれるようになり、私は死のうにも死ねない生活を送りました。もちろん、アルバイトなどもできず、夜中に人目を避けて二四時間営業のスーパーで安売りの納豆とインスタントラーメンなどで食いつなぐ生活。後は、ずっと部屋に引きこもって眠る生活です。
一人暮らしは長く続くはずもなく、そのうち私は再び実家に戻りました。
そんな折、とある知人から酷い裏切りを受け、私は何度目かの自殺を試みました。幸いというか自殺は誰にも知られず、失敗に終わり、私はその足で精神科の門を叩きました。
私が精神科に行ったことを母に打ち明けると、母は「薄々分かってた」と言い、私を抱きしめて「また帰ってきてくれてありがとう」と泣きました。
それからまた、色々なことがありましたが、私の病状は快方に向かっており、週に二回なら仕事もできるようになりました。
インターネットの世界を知ったり、天然石を使った様々なアクセサリーに興味を向けたりするようになります。まだ、完全に治った!とは言えないのですが、それでも最低の時期からは抜けられた気がします。
でも、他が最低ってことは、ギャンブルでもやっていたら一攫千金狙えたかも?なーんてジョークも飛び出すぐらいには回復しています。
でも、こうして文章にしてみると、やっぱり親って偉大だな、と思うのです。
私だったら、失望した子供にお金なんかあげませんよ。それを、ここまで育て、今は父も母も静かに見守ってくれています。祖母からはたまにお説教されますが、それもまあ、そうだろうなという感じでスルーできています。
私のこれまでの経過はこんな感じです。なので、「ぜんっぜんダメ人間じゃん!私の方が数倍マシじゃん!」という感じで勇気を出してもらえたりしたら幸いです。これから、私はとにかくアルバイトでもして、再び、今度は前向きな一人暮らしをする、というのが目標です。
もちろん、夢は持ち続けます。いつか、ペン一本でささやかに暮らしていけるお仕事をいただくのが私の理想です。
こんな長文になってしまってすみませんね。これもプロフィールに入れときます!
私の母はとても強い人で、若い頃は中卒ですぐに看護学校へ行き、看護師として働きながら叔母二人の大学までの通学費用をねん出しました。
その後も、結婚、出産とありましたが、私は母が愚痴を言ったり泣きごとを言ったりするところを見たことがありません。たまに職場でのお笑い話をして、食卓をにぎやかすことはありますが、とにかくマイナスのことは言ったことがありませんでした。
そんな母を泣かせてしまったのは、私がまだ病気だと誰も気づいていない時です。
私は学校に行かなくなり、そんな私を母や父、祖母は許しませんでした。かろうじてその時存命だった祖父は「かみなの思う通りにさせてやりなさい」と私が知らない所で皆を諭していたらしいですけど、とにかくその時は、私には味方なんて一人もいないんだ、という孤独感に打ちのめされました。
果てには、優しかった父に「出ていけ」とまで言われ、泣きながら荷造りをしたこともあります。おそらく、父も母も祖母も、それまで順調すぎるほど順調だった私の変わりように戸惑い、どう接していいのか分からなくなっていたのだと思います。
そんな中、私はついに首を吊るという自殺のまねごとに手を出しました。首を吊り、何度も途中で苦しくなったり暴れては失敗をする、ということを重ねました。
それから、私は高卒認定を取って大学へ。しかし、嫌々行っている大学が続くはずもなく、「大学へ行く」と言って家を出ては図書館や本屋でひたすら時間をつぶす、という生活を送っていました。
とにかく、漫画から専門書まで、本はひたすら読みました。私にはそれしか時間をつぶす方法が分からなかったのです。
足が疲れたら、トイレで休憩して、また本屋へ、という生活を繰り返しました。
それから、私は初めての一人暮らしへ。それも、前々から計画を練ってほとんど家出状態で、お金がなくなったら死のう、と思っていました。
しかし、そんな私の決意を知っていたのか、母は誰にも内緒で家賃代+1万円ぐらいのお金をくれるようになり、私は死のうにも死ねない生活を送りました。もちろん、アルバイトなどもできず、夜中に人目を避けて二四時間営業のスーパーで安売りの納豆とインスタントラーメンなどで食いつなぐ生活。後は、ずっと部屋に引きこもって眠る生活です。
一人暮らしは長く続くはずもなく、そのうち私は再び実家に戻りました。
そんな折、とある知人から酷い裏切りを受け、私は何度目かの自殺を試みました。幸いというか自殺は誰にも知られず、失敗に終わり、私はその足で精神科の門を叩きました。
私が精神科に行ったことを母に打ち明けると、母は「薄々分かってた」と言い、私を抱きしめて「また帰ってきてくれてありがとう」と泣きました。
それからまた、色々なことがありましたが、私の病状は快方に向かっており、週に二回なら仕事もできるようになりました。
インターネットの世界を知ったり、天然石を使った様々なアクセサリーに興味を向けたりするようになります。まだ、完全に治った!とは言えないのですが、それでも最低の時期からは抜けられた気がします。
でも、他が最低ってことは、ギャンブルでもやっていたら一攫千金狙えたかも?なーんてジョークも飛び出すぐらいには回復しています。
でも、こうして文章にしてみると、やっぱり親って偉大だな、と思うのです。
私だったら、失望した子供にお金なんかあげませんよ。それを、ここまで育て、今は父も母も静かに見守ってくれています。祖母からはたまにお説教されますが、それもまあ、そうだろうなという感じでスルーできています。
私のこれまでの経過はこんな感じです。なので、「ぜんっぜんダメ人間じゃん!私の方が数倍マシじゃん!」という感じで勇気を出してもらえたりしたら幸いです。これから、私はとにかくアルバイトでもして、再び、今度は前向きな一人暮らしをする、というのが目標です。
もちろん、夢は持ち続けます。いつか、ペン一本でささやかに暮らしていけるお仕事をいただくのが私の理想です。
こんな長文になってしまってすみませんね。これもプロフィールに入れときます!
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私が今、好きな石と言ったら……
・ダイヤモンド(昔は、「金持ちの道楽」とバカにしていたのですが、自分で買ってみたら案外良かったので)
・翡翠(これも、緑のしか知らなかったのですが、白っぽい翡翠が安価であるのを知って付けていますよ)
・水晶(透明より中に何か入っているのが好きです)
ははは、なんか、パワーストーンも知らない普通の人みたいなチョイスですね。
私も、「なんとかライト」みたいな通好みの石に出会いたい気もするのですが、そういうのって大抵アクセサリーにはなっていません。
私は、鉱石も好きですが、アクセサリーになっている方が好きなのですよ。いつも一緒にいられますしね。
また、アクセサリーも普通のネックレスよりも革で自分で長さを調整できるのが好きです。自分の視界に入りますからね。ピアスも開けていますが、やっぱり自分でいつでも見えるものがいい!
でも、ブレスレットはしないんですよね……。「パワーストーンっていうとブレスレットじゃないの?」と思われるかもしれませんが、確かに数珠っぽいブレスレットも何本か持っていますが、最終的に付けるのは指輪とかペンダントです。これは、自分でも理由が分かりません。邪魔だから?とか考えますが、それなら勾玉何個もぶら下げてるネックレスの方が重いだろ、と。
いやー、一応ハンドメイドカテゴリーにいながら何の情報も発信せずに申し訳ない。でも、一応勾玉ネックレスは手作りですよ。まだ完成した!と思っていないので、さらにパーツを買い足すと思いますが。
でも、完成して一か月後まだ身に付けているとも思えないですね……私は、浮気症です。なので、勾玉沼から出たらまた沼、ということもありえます。
あと、だいぶ前に3○歳になりました。いやそんな、プレゼントなんていいんですよ、本当に。「それでも魅力的なあなたにぜひ」とかそんな~。1カラットのプラチナダイヤリングとかいいですよ~へなっぷ!(水晶クラスターぶつけられた音
それとですね、今、「どうしよう、20代のうちに就職(結婚)しなきゃ」って焦っている人もいるかと思うのですが、いざ30代になっちゃえば楽勝ですよ。逆に、年を経れば経るほど分かってくる世の中の仕組みとかもあります。統計によると、20代の死亡理由の一位が自殺なんですね。こういう世の中ですし、絶望してしまうのも分かりますが、まあ待って。親御さんでも友達でもペットでもなんでもいいです。あなたがいなくなることで悲しむ人はきっといるでしょう。
あなたは必要とされています。今でなくとも、未来にきっと。本当にどうしようもなくなったら、精神科の門を叩いてください。大丈夫、精神科に通院しただけであなたの価値は下がりません。
これはここで書くか迷ったのですが、私も精神科に通院しています。
これを書いたことで引いてしまう一般の友達もいると思いますが、これは事実です。ただ、「精神科は一見普通の人でも通院している」ということを言いたいのです。また、「精神科に行くと就職や結婚に不利になるのでは?」という人もいますが、それは精神手帳を取った場合ですね。病院には守秘義務があるので、大事件などを起こさなければ精神科に通っていても何ら問題はありません。
精神手帳も、差別などがあるのを知ったのは10年ぐらい前ですし、今は多分手帳を取っても問題ないと思います。
「じゃあ、今まで石の声とか聞こえていたのは精神の病気だったからなの?」という疑問は、それは違うとはっきり言えます。何故かというと、薬で症状を抑えている時も、症状が出ている時も、石の声が聞こえるのに変わりはないからです。
石の声は、誰にでも聞こえます。大事なのは、「私は石の声を聞くことができる」という強い意思です。疑いながら話しかけても、石は返事をしないでしょう。まあ、逆に、半信半疑で話しかけたら意外と楽に話せてしまい、そこから石の不思議に興味を持つという人もいますが。
ちょっと、プロフィールめいたものを書こうと思ったら、書かなくていいことまで書いた気がします。
でも、それで誰かの助けになれるのなら、きっと書いていいことだったんだと思う事にします。自分の傷をさらけ出すことで、誰かの傷も「この人も一緒の傷を負っているんだ」と思えたら素敵ですよね。
・ダイヤモンド(昔は、「金持ちの道楽」とバカにしていたのですが、自分で買ってみたら案外良かったので)
・翡翠(これも、緑のしか知らなかったのですが、白っぽい翡翠が安価であるのを知って付けていますよ)
・水晶(透明より中に何か入っているのが好きです)
ははは、なんか、パワーストーンも知らない普通の人みたいなチョイスですね。
私も、「なんとかライト」みたいな通好みの石に出会いたい気もするのですが、そういうのって大抵アクセサリーにはなっていません。
私は、鉱石も好きですが、アクセサリーになっている方が好きなのですよ。いつも一緒にいられますしね。
また、アクセサリーも普通のネックレスよりも革で自分で長さを調整できるのが好きです。自分の視界に入りますからね。ピアスも開けていますが、やっぱり自分でいつでも見えるものがいい!
でも、ブレスレットはしないんですよね……。「パワーストーンっていうとブレスレットじゃないの?」と思われるかもしれませんが、確かに数珠っぽいブレスレットも何本か持っていますが、最終的に付けるのは指輪とかペンダントです。これは、自分でも理由が分かりません。邪魔だから?とか考えますが、それなら勾玉何個もぶら下げてるネックレスの方が重いだろ、と。
いやー、一応ハンドメイドカテゴリーにいながら何の情報も発信せずに申し訳ない。でも、一応勾玉ネックレスは手作りですよ。まだ完成した!と思っていないので、さらにパーツを買い足すと思いますが。
でも、完成して一か月後まだ身に付けているとも思えないですね……私は、浮気症です。なので、勾玉沼から出たらまた沼、ということもありえます。
あと、だいぶ前に3○歳になりました。いやそんな、プレゼントなんていいんですよ、本当に。「それでも魅力的なあなたにぜひ」とかそんな~。1カラットのプラチナダイヤリングとかいいですよ~へなっぷ!(水晶クラスターぶつけられた音
それとですね、今、「どうしよう、20代のうちに就職(結婚)しなきゃ」って焦っている人もいるかと思うのですが、いざ30代になっちゃえば楽勝ですよ。逆に、年を経れば経るほど分かってくる世の中の仕組みとかもあります。統計によると、20代の死亡理由の一位が自殺なんですね。こういう世の中ですし、絶望してしまうのも分かりますが、まあ待って。親御さんでも友達でもペットでもなんでもいいです。あなたがいなくなることで悲しむ人はきっといるでしょう。
あなたは必要とされています。今でなくとも、未来にきっと。本当にどうしようもなくなったら、精神科の門を叩いてください。大丈夫、精神科に通院しただけであなたの価値は下がりません。
これはここで書くか迷ったのですが、私も精神科に通院しています。
これを書いたことで引いてしまう一般の友達もいると思いますが、これは事実です。ただ、「精神科は一見普通の人でも通院している」ということを言いたいのです。また、「精神科に行くと就職や結婚に不利になるのでは?」という人もいますが、それは精神手帳を取った場合ですね。病院には守秘義務があるので、大事件などを起こさなければ精神科に通っていても何ら問題はありません。
精神手帳も、差別などがあるのを知ったのは10年ぐらい前ですし、今は多分手帳を取っても問題ないと思います。
「じゃあ、今まで石の声とか聞こえていたのは精神の病気だったからなの?」という疑問は、それは違うとはっきり言えます。何故かというと、薬で症状を抑えている時も、症状が出ている時も、石の声が聞こえるのに変わりはないからです。
石の声は、誰にでも聞こえます。大事なのは、「私は石の声を聞くことができる」という強い意思です。疑いながら話しかけても、石は返事をしないでしょう。まあ、逆に、半信半疑で話しかけたら意外と楽に話せてしまい、そこから石の不思議に興味を持つという人もいますが。
ちょっと、プロフィールめいたものを書こうと思ったら、書かなくていいことまで書いた気がします。
でも、それで誰かの助けになれるのなら、きっと書いていいことだったんだと思う事にします。自分の傷をさらけ出すことで、誰かの傷も「この人も一緒の傷を負っているんだ」と思えたら素敵ですよね。
私には夢があります。
それは、「物書き」になること。ジャンルは問いません。とにかく、筆一本で食べていけるようになりたいんです。
私の夢は、小学校2年生の時から始まりました。当時の担任の先生に、「君は文章を書く才能があるね」というようなことを言われたのです。
それまで、小学生らしく漠然とした夢しか持っていなかった私には、それが衝撃でした。それは、「君には翼がある。だから空を飛ぶことができる」と言われたにも等しかったのです。
それから、私はせっせと日記など文章を書く作業に没頭しました。今思えば、当時の宿題は祖母が見ており、祖母の言ったとおりのことを書いていただけなので、認められるのは当たり前だったのかもしれません。
しかし、私は色んな方法で物書きになる作業を始めました。
そんな時、ショックなことが起こります。小学校3~4年だったでしょうか。当時、「朝の詩の時間」といって、詩を書く時間があったのですが、その後先生に呼びだされ、「本当にこれはあなたが書いたの?何かを見て書いたんじゃないの?」と言われたのです。
確かに、私は朝の詩の番組を見てから学校に行く日々を送っていました。しかし、一回しか放送されていない番組の内容を詳しく覚えているはずもありません。
昔から家では「姫」とまで言われて、そういうマイナスの感情に疎かった私は、きょとんとして「いいえ、私が書きました」と言ったのですが、先生は「ふーん……」と最後まで信じていなさそうだったのです。
それからは、詩のことは忘れて、小説や日記を書き続けました。といっても、小説はいつも長編の割には完結しておらず、日記もどこかでかじったような言葉ばかり……しかし、中学に上がった時、担任との交換日記に「非常に面白い文章を書きますね!行く末はエッセイストでしょうか」と書かれ、「やっぱり私には翼があるんだ!」と確信しました。
中学に入ってからは、小説を書いて友達と見せ合うということを繰り返しました。やはり、その時も小説は未完のまま、中学を卒業しました。
そして、時代は暗黒に入ります。高校時代、学級日誌におちゃらけた文章を書いていたのですが、ある日それがクラスの問題児に見つかってしまいます。
「なにこれ、おもしれえじゃん」と言われて読まれていたのですが、その中の一人に「てか、いつもは暗いくせにこういうのって気持ち悪いよな」と言われたのです。その一言は、私の心を酷く傷つけました。
それから、私はぴたりと創作活動を止めました。
「お前には翼なんてない。一生そうやって勘違いしながら這いつくばって生きるんだよ」と言われたような気がしたのです。
しかし、また羽ばたいてみようと思ったのはいつか分かりません。
気が付けば、私はブログを立ち上げ、日記を書いていました。当時のブログは残念ながらもう閉めてしまったのですが、こう思ったのです。「一生気狂いのようにバカみたいにパタパタ手を動かしているだけでもいい。それは、誰に蔑まれてもいい。翼なんかなくてもいいから、私は私の才能に生涯を賭けたい!」と。
……パワーストーンブログで書くことではなかったかもしれませんね。でも、私には夢があるんです。「君には翼がある」と言われて始まった、「物書きになる」という夢。私を励まし、そして傷つけた夢。でも、私はこの夢と一緒に生きてきたんです。夢なしでは私の生活はありえないんです。
私には夢があります。それは、「物書きになる」という夢。
笑う人は笑ってください。それでも、私は前を向くと決めたのです。
それは、「物書き」になること。ジャンルは問いません。とにかく、筆一本で食べていけるようになりたいんです。
私の夢は、小学校2年生の時から始まりました。当時の担任の先生に、「君は文章を書く才能があるね」というようなことを言われたのです。
それまで、小学生らしく漠然とした夢しか持っていなかった私には、それが衝撃でした。それは、「君には翼がある。だから空を飛ぶことができる」と言われたにも等しかったのです。
それから、私はせっせと日記など文章を書く作業に没頭しました。今思えば、当時の宿題は祖母が見ており、祖母の言ったとおりのことを書いていただけなので、認められるのは当たり前だったのかもしれません。
しかし、私は色んな方法で物書きになる作業を始めました。
そんな時、ショックなことが起こります。小学校3~4年だったでしょうか。当時、「朝の詩の時間」といって、詩を書く時間があったのですが、その後先生に呼びだされ、「本当にこれはあなたが書いたの?何かを見て書いたんじゃないの?」と言われたのです。
確かに、私は朝の詩の番組を見てから学校に行く日々を送っていました。しかし、一回しか放送されていない番組の内容を詳しく覚えているはずもありません。
昔から家では「姫」とまで言われて、そういうマイナスの感情に疎かった私は、きょとんとして「いいえ、私が書きました」と言ったのですが、先生は「ふーん……」と最後まで信じていなさそうだったのです。
それからは、詩のことは忘れて、小説や日記を書き続けました。といっても、小説はいつも長編の割には完結しておらず、日記もどこかでかじったような言葉ばかり……しかし、中学に上がった時、担任との交換日記に「非常に面白い文章を書きますね!行く末はエッセイストでしょうか」と書かれ、「やっぱり私には翼があるんだ!」と確信しました。
中学に入ってからは、小説を書いて友達と見せ合うということを繰り返しました。やはり、その時も小説は未完のまま、中学を卒業しました。
そして、時代は暗黒に入ります。高校時代、学級日誌におちゃらけた文章を書いていたのですが、ある日それがクラスの問題児に見つかってしまいます。
「なにこれ、おもしれえじゃん」と言われて読まれていたのですが、その中の一人に「てか、いつもは暗いくせにこういうのって気持ち悪いよな」と言われたのです。その一言は、私の心を酷く傷つけました。
それから、私はぴたりと創作活動を止めました。
「お前には翼なんてない。一生そうやって勘違いしながら這いつくばって生きるんだよ」と言われたような気がしたのです。
しかし、また羽ばたいてみようと思ったのはいつか分かりません。
気が付けば、私はブログを立ち上げ、日記を書いていました。当時のブログは残念ながらもう閉めてしまったのですが、こう思ったのです。「一生気狂いのようにバカみたいにパタパタ手を動かしているだけでもいい。それは、誰に蔑まれてもいい。翼なんかなくてもいいから、私は私の才能に生涯を賭けたい!」と。
……パワーストーンブログで書くことではなかったかもしれませんね。でも、私には夢があるんです。「君には翼がある」と言われて始まった、「物書きになる」という夢。私を励まし、そして傷つけた夢。でも、私はこの夢と一緒に生きてきたんです。夢なしでは私の生活はありえないんです。
私には夢があります。それは、「物書きになる」という夢。
笑う人は笑ってください。それでも、私は前を向くと決めたのです。
地味に名前変更しました。
……「かみな」なんて、恐れ多い名前なのですが、理由があるのですよ。
今日、うたた寝の最中の夢の中で、友達とトランプ占いをしていたのです。で、「私にぴったりなハンドルネームとかありますか?」と質問したところ、引き当てたトランプ(クラブのエース)にマジックで「か み な」と書かれていて、その友達と「ええー!?なにこれ!本物ってこと!?」と慌てている夢でした。
通常、夢の中では、文字を認識できないと言われています。
でも、私は結構本や漫画を読んでいる夢もあったりして、その土台はできていました。
で、これは運命だろうと。一応姓名判断のサイトで占ったら、「怜悧な頭脳を持っているが、それゆえ助けてくれる人を値踏みする癖がある」と言われてしまいました。私じゃん!と思ったのですが。
まあ、このブログを書く時には、私は自分のことを「私」とか「右川」とか呼んでいるので、そうそう名前がどうこうなるわけではないのですが。
まあ、一応改名しました、ってことです。
以前はリア友に教えてもも「ああ、本名に近いね」といった感じだったのですが、これからはちょっと恥ずかしいですね。
それでも、夢のお告げを信じることにします!これからも、右川恵美改め右川かみなをよろしくお願いしますね!
……「かみな」なんて、恐れ多い名前なのですが、理由があるのですよ。
今日、うたた寝の最中の夢の中で、友達とトランプ占いをしていたのです。で、「私にぴったりなハンドルネームとかありますか?」と質問したところ、引き当てたトランプ(クラブのエース)にマジックで「か み な」と書かれていて、その友達と「ええー!?なにこれ!本物ってこと!?」と慌てている夢でした。
通常、夢の中では、文字を認識できないと言われています。
でも、私は結構本や漫画を読んでいる夢もあったりして、その土台はできていました。
で、これは運命だろうと。一応姓名判断のサイトで占ったら、「怜悧な頭脳を持っているが、それゆえ助けてくれる人を値踏みする癖がある」と言われてしまいました。私じゃん!と思ったのですが。
まあ、このブログを書く時には、私は自分のことを「私」とか「右川」とか呼んでいるので、そうそう名前がどうこうなるわけではないのですが。
まあ、一応改名しました、ってことです。
以前はリア友に教えてもも「ああ、本名に近いね」といった感じだったのですが、これからはちょっと恥ずかしいですね。
それでも、夢のお告げを信じることにします!これからも、右川恵美改め右川かみなをよろしくお願いしますね!
私がピアスを開けた思い出は、なかなか深いものがあります。
私、高校を辞めているのですが、その際に友達から「高校中退おめでとう!記念にピアス開けにいこーじぇ」と言われて開けたのです。
そのことを職場の上司に言ったら、「……まあ、祝ってくれる友達がいるってことはいいことね」と。
ちなみに、その時のピアスは、「ピアッサーを持ってくれば無料で穴開けします」という病院で開けてもらいました。よく、ピアスホールをあけていない人から「痛くなかったの?」と言われますが、私の場合、痛いというより重い、といった感覚でした。普通のピアッサーのファーストピアスは、大抵大きめの穴が開くように太いピアスになっているんですね。だから、重く感じると。
痛みの方は、消毒する時にチクッとする感じでしたが、一週間ぐらいでそれもなくなりました。ただ、ピアスを定着させるには少なくとも1カ月はつけっぱなしにすると思ってください。消毒薬も、ピアッサーを売っているような所では600円ぐらいで消毒ジェルも売っているので、必ずそれを買ってください。マキロンとかでしないように……化膿などの原因になりますから。
でも、中には「安全ピンで開けたけど平気だったよ~」という人もいると思いますが、安全ピンは他人にお勧めできないので一番安全な方法を書いています。ちなみに、私は安全ピンで開けるという思想がそもそもありません。注射も怖いのに……。
ボディピアスなんかにも興味はあるのですが、なんか刺青とかと同じような感覚になってしまうので躊躇しています。耳が一番痛くないっていいますしね。痛いのホント嫌いです。よくピアスなんか開ける気になったな、と思うのですが、その時は「高校辞められたー!自由だー!」となっていたので、恐怖心が麻痺していたのですよ。
今は、バラのピアスしています。上司には「……なると?」とか言われたのですが。実際に見てみると、なるほどなるとに見えるな、と思います。バラなんですよ。
一時期、ピアスしてない時もあったのですが、久しぶりに「もう塞がっちゃったかな?」と思いつつピアスホールに通してみたら、平気でした。ピアスホールは、ピアスを入れている時間が多ければ多いほど塞がるのも時間がかかるそうです。ピアスを塞ぎたいという人はご注意を!
私、高校を辞めているのですが、その際に友達から「高校中退おめでとう!記念にピアス開けにいこーじぇ」と言われて開けたのです。
そのことを職場の上司に言ったら、「……まあ、祝ってくれる友達がいるってことはいいことね」と。
ちなみに、その時のピアスは、「ピアッサーを持ってくれば無料で穴開けします」という病院で開けてもらいました。よく、ピアスホールをあけていない人から「痛くなかったの?」と言われますが、私の場合、痛いというより重い、といった感覚でした。普通のピアッサーのファーストピアスは、大抵大きめの穴が開くように太いピアスになっているんですね。だから、重く感じると。
痛みの方は、消毒する時にチクッとする感じでしたが、一週間ぐらいでそれもなくなりました。ただ、ピアスを定着させるには少なくとも1カ月はつけっぱなしにすると思ってください。消毒薬も、ピアッサーを売っているような所では600円ぐらいで消毒ジェルも売っているので、必ずそれを買ってください。マキロンとかでしないように……化膿などの原因になりますから。
でも、中には「安全ピンで開けたけど平気だったよ~」という人もいると思いますが、安全ピンは他人にお勧めできないので一番安全な方法を書いています。ちなみに、私は安全ピンで開けるという思想がそもそもありません。注射も怖いのに……。
ボディピアスなんかにも興味はあるのですが、なんか刺青とかと同じような感覚になってしまうので躊躇しています。耳が一番痛くないっていいますしね。痛いのホント嫌いです。よくピアスなんか開ける気になったな、と思うのですが、その時は「高校辞められたー!自由だー!」となっていたので、恐怖心が麻痺していたのですよ。
今は、バラのピアスしています。上司には「……なると?」とか言われたのですが。実際に見てみると、なるほどなるとに見えるな、と思います。バラなんですよ。
一時期、ピアスしてない時もあったのですが、久しぶりに「もう塞がっちゃったかな?」と思いつつピアスホールに通してみたら、平気でした。ピアスホールは、ピアスを入れている時間が多ければ多いほど塞がるのも時間がかかるそうです。ピアスを塞ぎたいという人はご注意を!